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【再掲】艦これの歴史的な意義とは  


艦これというゲーム、実はプレイしていたことがあります。
2013年の7月に10日ほど。勿論寝食を惜しんで行い、最初の3日まで2-4に行き、そこで詰まったりしていました。
ああこのゲームバランス感覚すげぇなとか思ってやっていました。

あまりにもハマりすぎて、私がデータを削除した初めてのゲームになりました。
丁度同時期に、今回のこの記事の元になった記事が嫌な形で引用され、とても嫌になったというのもあります。
関連して、当時4本くらい書いていた記事も1本の記事の攻略部分だけを残してすべて消しています。

アニメの流れを見ていると改めて出しておいたほうがいいなーと思ったので、当時の記事を再掲します。
2013年7月のものなので、情報は古いです。まーでも消すべきじゃなかったですね。
はてなの方には残しといたんですが、惜しいことをしました。


艦これ、こと艦隊これくしょんの記事、4本目です。

今回は、私が艦これを猛烈に推す理由について。
多少分析を入れていますが、本質は私の意見ですのでご注意。

私は艦これは歴史的な意義がある作品だと思っています。ある意味ガルパンに近い。
まどマギとは、違うかもしれない。

ヘタな教科書や教育より、人類の財産として残すべきものは艦これだとは思うのです。言葉は盛ってますけどね笑。

艦これの魅力やら「ここがすごい!」については、Naverまとめがここがすごいよ艦隊これくしょんで書いています。

このほか、ゲームバランスだったり、キャラの可愛さだったり、コレほとんどキャバクラじゃんwwwみたいなことだったり、硬派な内容だったり、スタッフの真摯な下調べだったり、運営の良心的な対応だったり、カットインや音声がソーシャルゲームに対応できる技術進歩だったり、それにお金を突っ込めるところが適切にお金を突っ込んでいたり、と、色々「すごい!」はありますが(BGMのチョイスもいいですよね)

全部ひっくるめて、特筆すべきはこのゲームに通底するバランス感覚なんだけど。



艦これの何が凄まじいって、日本海軍艦艇の大半を一挙に艦娘化(ビジュアル化)して、適度な史実ネタとわかりやすいキャラクター付けの台詞をフルボイスでつけて、絶妙なゲームバランスをくみ上げて、それを「実際にゲームとして稼働させてる事」に尽きると思う。 #艦これ
— 南条 匡@C84 日西く-20b (@nanjyo_tadashi) July 15, 2013
(このツイートには納得でした)


私が『艦これ』を、ともすれば異常なまでに強力に推す理由は、また別にあります。

・歴史を「顔が見える」ものにしたこと
・その結果、歴史を「共感できるもの」にしたこと

です。

システムにすると、脱衣システムやら、音声入れたことやら、シビアな轟沈システムやら、艦娘のキャラ付けやら、キャラクターデザインの秀逸さやら、などになります。

決定的に大事なポイントは、根底に歴史へのリスペクトがあること。
艦これをやっていてよく思うのが、「もっと早くプレイしていれば、爺さんが生きているうちにコレ見せられたよな」でした。

こんなモン見せるな?
違います。

艦これになじんだ私たちは、 「連合艦隊所属艦艇に対するナマの思い入れ」という一点で、太平洋戦争で実際に戦った人たちと同じ土俵に立てます。

戦争を馬鹿にするな、とか戦争賛美、とかでもないです。
あの時代を生きた人たちが連合艦隊の艦艇を見たときに思った懐かしさ、憧れ、郷愁、安心感、など、など、ナマの感情を、僕らは似たような熱さで共感できる。

もちろん、娘にして擬人化されてたり、その娘は服が破れるだけで決して血を流さなかったり、戦う相手も人外のモンスターっぽいものだったりするし、ゆがみや断絶もあるんだけど、

たとえば「駆逐艦 電」と聞いたときに、私たちももう、顔が浮かびます。性能の想像ができます。
いや、確かに性欲の対象にする人がいるとかhshsの対象にする人がいるとか、良くない部分も多々あるのでしょうけど。
でも、電が私たちの記憶の中で「生きた」存在であるのは事実です。
しかるべき時間とコストと気持ちを割いて、一緒に育み、戦ってきた積み重ねがあります。
そして、このゲームでは生き返りがないから、轟沈して失われた時の喪失感が大きいです。

だから、電という船の名前を聞いたときに、私たちは私たちのものとして胸に去来するイメージがあるし、その船の悲劇に対して心が悲しくなります。

この感覚は、電という船に実際になじみ、共に生きた人と共有しうるものだと思います。
もちろん厳密にはかなり違うのですが、本や漫画で知るのとはまた違った意味があります。
私たちも「電と一緒に生きた」時間を送ってきた人間だから。
彼らの誇りに対して、私たちも似たような愛着を持つ。彼らが悲しむことに、私たちも似たような悲しみを持てる。

つまり、艦これによって、もう絶対に会えない時代の人と、私たちは気持ちの共有ができるのです。
この橋渡し効果自体はシミュレーションゲームの特徴でもあるのですが、対象が人間だけの世界から、当時の人の「モノへの愛着」にまで拡張されたところが大きいのかなと思います。


また、私のこの感覚には、ニューヨークで見た空母イントレピッド(あとでリンク貼ります)の経験が非常に大きく影響しています。

確かに艦これはヤバいゲームで、本当の意味で不健全だから、女の子とか家族の前でやったら一発で人格が疑われると思います。
艦娘から透けて見える提督の性格も、非常に気持ちが悪い。

でも、艦これから二次大戦に興味を持った人間は、大戦史とのかなりいい出会い方をしたと思います。

私が対極で思い出すのは、イントレピッド博物館での、自分たち自身の歴史をも馬鹿にしたようなアトラクションです。あそこでは、命に対しても歴史に対しても、また違った見方が提示されています。
私はそのときに強い怒りを感じたので、艦これを通じての考え方じたいにも、かなり縛りがあると思います。

また、歴史になじむときに、艦これだけが唯一絶対の正解ではありません。
たとえば大戦略シリーズとか光栄のゲームとか無双シリーズとか洋ゲーのシミュレーションとか、いろいろ名作があるけど、どうなんだ?という話もあります。

じっさい、私は大学院で「もっとゲームをやっておけばよかった!」と後悔しました。
本を読む、でも、勉強する、でもなく、必要なものは歴史ゲームを通じての感覚だと思ったからです。


艦これで感じたものは、また別の感覚です。
艦これの艦娘を見たことから、もう一度興味をもって娘たちの来歴を調べていったときにある種の感慨があったのです。その感覚が、非常に大事だと思いました。
シミュレーションゲームをやることで得られる「違う視点、当事者感覚での見方」以外に、ただの字面、船の写真でしかない艦艇史が、娘たちの姿でいきいきと蘇ります。
まどマギ見てる感覚になります。まどマギのBGMなんかかけちゃうと、特に。

というのが、第二次大戦前の日本は戦前は世界第三位の海軍国だったのです。
二位がイギリスで、一位がアメリカ。
同じ海にいるもう一つの海軍国と宿命的に激突していったのが太平洋戦争です。
艦これ的に言えば、娘たちのほとんどフルメンバーが咲き誇っていたのが、開戦前の日本でした。

連合艦隊史は、世界第三位の威容を誇った日本の大艦隊が一位アメリカ(と二位イギリス)に殺され尽くしていく歴史でもあります。
艦これの娘たちも、歴史上ではほとんどが悲劇的に散っていきます。それこそリアルまどマギです。

お互いにかばい合って死んでいった者、無言で消えていった者、仲間を助けに戻ってきて全員殺されてしまった者、仲間を勝たせるために蜂の巣にされた者、色々います。
調べていくと、1944年の10月の2X日なんて「うわぁ。。。」ってなります。

※レイテ海戦の時期です。

彼らを調べることは、私のルーツにも関わってきます。
祖父が南方(トラック島の守備隊でした)に行く際、艦娘たちと一瞬すれ違っているのです。

私はまず、祖父を助けてくれた駆逐艦を探そうとしました。藤波という、ゲーム未登場の船でした。
さらに調べていくと、祖父が南方戦線に行く前後に何があったのかが見えてきました。
「艦隊のアイドル」那珂ちゃんには、それこそ足を向けて眠れなかったりします。
彼女を殺った航空隊が、もし彼女と戦っていなかったら、あるいは祖父達に牙を剥いていたかもしれないから。
(イントレピッドの航空隊も含まれています)

こういうとき、「顔(と声)が浮かぶ」のは大きいです。


また、私はもともと「摩耶」という船を名前を見てファンになったのですが、彼女はよくぞキャラにして起こしてくれた、という感じです。中身が佐倉杏子っぽいし、どストライク。

鳥海とか足柄も素敵です。扶桑さんなんて良い性格してますよね。声優の演技が素晴らしい。
いや龍田が揚げ物もってないのは「なんで!?」ですが。。。

こういう娘たちも、元ネタを調べていくと色々見えてきます。
もう一度言います。日本は太平洋戦争ボロ負けしてます。
あれだけの敗戦で、彼女たちみたいな大型艦が無傷のまま生き残らせて貰えているわけがないのです。
ほかの艦娘たちの殆ども死にます。それもかなり悲惨に。

じゃあ艦これがいけないのか?荘厳な気持ちでプレイしなければいけないのか?
そんなこともないと思います。おっぱい!とか言ってて良いのだと思います。
所詮、コンセプトはキャバクラだし。

戦争はいけないのか?それもわかりません。
戦争を戦ったうちの爺さんは「絶対にしちゃいけない」とよく言っていました。
でも、僕らは彼とは異なる技術、異なる倫理、異なる制約、そして異なる利害関係の下で生きています。

では、何がポイントなのか?
艦これのポイントは、あくまでキャラ付けをなしたことによる共感(身近にする、なじませる)であり、その結果の「惜しむ(いとおしむ、でもある)気持ち」なのだと思います。

触れた人間にそういう気持ちを持たせるのが艦これだし、この気持ちは歴史に触れる時の我々の態度にも影響します。艦これに触れていられる環境は、イントレピッドの環境で育まれた人間よりは、「導入」として遥かにマシだと思うのです。

艦これをいいなと思ったら、お気に入りの娘を自分なりに大事にすればいい。
それは、とても素敵な出会い方なのだから。

なお、イントレピッドは私の知る限り最も多くの艦娘を殺した船でもあります。
経歴的にも、今のイントレピッドが内包するコンセプト的にも、艦娘たちの"敵"に最もふさわしいのはイントレピッドだと、私は思っています。

モノを教えたり今までの研究のなかで、私は大事なものは「相手と同じものを見て、喜怒哀楽に共感できること」なのだと思います。アニメ考察でもこの視点は一貫して持ってきたつもりです。
これは結構な勉強が必要なようで、いろいろ我慢しなくちゃいけない類のモノのようです。

だから、艦これみたいなものは画期的だと思います。
こうやってキャラ付けをしてくれると、イメージがしやすい。余計な努力をしなくても相手に共感しやすくなる。
しかも、そのキャラ付けに嫌味がそこまでなく、考証も相当真摯に行われています。

だから、艦これは導入の教材として優れていると思います。

クールジャパン騒ぎもありましたが、これから難しくなっていく世界の中で、この「共感できる可能性を持った」視点を持てることは、とても大事だと思います。
この視点で違う世界や世代に臨めることが、まだぎりぎり食っていく余裕が残っている世代を生きている僕らの得難い宝になっていくのかもしれません。

その意味で、嚆矢としての艦これがこの先に残していくものはとても大きいと思うのです。



【2015年1月22日のあとがき】
なお、私が消した理由になった当時の引用先の文章がこちらになります。
艦これのヒット要因を分析した記事で、分析の内容は妥当だと思います。実際に大きな反響がありました。
自分の記事を今読み返すと相手方にそれなりに共感できます笑。
読み返す気にはならないけど。やっぱムカつくものはムカつくので。

何であの時あんなに腹が立ったのかなーと考えると、祖父の死の直後だったから、というのがあります。
あなたはイントレピッドを見てはないでしょう?とも、思いました。
ただし、彼の分析は的確です。1年半後の今でも読む価値があると思います。

今回と前回の記事で出てきた空母イントレピッドについては次回書きます。



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