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Gのレコンギスタ 16話感想 Gレコの何を50年語り継ぐのか?  

最近ツイッターのタイムラインで、「Gレコが失敗した理由と、今後Gレコを46年語り継ぐために」というあでのいさんの記事が話題に上っていました。

Gのレコンギスタ(Gレコ)をとりあえず失敗としたうえで、その理由を
・物語の背景や世界が理解できない
・主人公のベルリに共感できない
・だから、どう受け止めて良いのかわからない
と分析しています。
(ただし、明快な正解がないような作風であるし、それがキモだと述べておられます)

これはその通りだなと思いました。
というのが、この記事のつまらない三大理由の方を見て「確かにGレコつまらないな」と素直に思えたから。

トワサンガ軍が出てきたときにはドキドキしたけど、なーんか、あんま面白くないよね、とは思ったのです。
最近、ゆゆゆ(結城友奈は勇者である)やアルゼロ(アルドノア・ゼロ)を見ていて、Gレコは無理してみないでもいいか、と思っていました。とくにアルゼロ見た後だとすっかり忘れてましたし。


16話を見て「そういうことか!」とすっきりしました。
Gレコは、多分それでいいんです。(結局あでのいさんと似た結論になります)
今回は、そう思った理由について。




結論行きます。
Gレコのキモは、主人公たちの戸惑いである。

言い換えると、Gレコのわけがわからない状況こそが、富野監督が登場人物たちを通じて伝えたかったモノである。
つまり、困惑こそが、視聴者にもっとも共感してほしいものなのではないか?
私の知っているこの作品絡みの談話を総合すると、そう思えました。

これ、劇中の用語に直すと、1話でアイーダがいみじくも言った「世界は、四角じゃないんだから!」になります。

先のあでのいさんの記事を拝読した時、そういえばGレコは登場勢力がやけに多いなと思いました。
三つ巴四つ巴どころか、大陸だけでゴンドワン、アメリア、キャピタルの3つ、これに宇宙のトワサンガを加えて4つ。更に穏健派とタカ派がいて宗教が絡んで、しかもその中の各人が敵になったり味方になったりしています。

つまり、敵味方が全然クリアーではない。白黒がつかない。
だから、わかりにくい。

何でこんなもんストレス溜めて見なくちゃいけねーんだよ!!!

で、ベルリです。
このヒトも感情がよくわからない。人が死んで悲しむでもなく、戦いに心が躍るでもなく。
いや、感情はあるっぽいんだけど、ウソだろってくらい速く切り替えてしまう。

視聴していて、理解できないし受入れにくい。



。。。。だったのですが。
16話を見て納得。

というのが、16話で視聴者の気持ちに近いことをいう人が出てきます。
一つがトワサンガの全てを仕組んだ人たちで、「戦争を面白がる若者たちが出てきた」とのたまう。
もう一つは、主人公のベルリ自身。
もう色々訳が分からなくなって、状況に直接ケリをつけるために、Gセルフを持ち出します。
このベルリに対して、この物語で初めて「ガンダム」という言葉が使われます。


ああなるほどなあと。
ごっちゃごちゃの状況に対して若者が使う道具が、ガンダムなんじゃないかな?と思いました。


振り返ると、第一話からGセルフは異界の使者として登場し、若者を広い世界へと誘います。
そのGセルフは冒険ツール(足)として機能してきましたが、今回でベルリの素性が明かされたので、今後は状況を打開しうる力としての意味も持ってくることになりそうです。

でも、その力でも、状況は劇的には変わらない。
みんな立場があるし誰かを背負っているし、誰かを殺したり誰かに勝って終わり、でもないと思います。
クリムやマスクやクンパを殺せば良いのか?ああうんクンパは死んだ方がいいかもだけど、彼がああなった必然もあるはずなので、そう綺麗にはいかないと思います。

一方、死んでしまったのはカーヒルとデレンセン。
生きていたら敵味方を問わず多くの若者に好かれ、導いていたであろう大人です。

でも、世の中ってそんなものではないでしょうか?
白と黒では割り切れない。何が起きているかも、あとにならないと分からない。


ベルリも共感できないのは致し方ない。
あんなに矢継ぎ早に物事が起こったとき、人間ってそもそも、感情が追い付くのでしょうか?
理解が追い付くかもあやふやだし、感情も遅れてやってくる。
特に、ベルリのように適応できちゃうような人間だと、感情出してる余裕ないと思うんです。
まず状況に適応しなくちゃいけないから。



このGレコ、富野節ではあるんですが、意図的にわかりにくくされているように思います。
だからといって富野さんが絶対的に正しい、とも私は思いませんが。
彼の目から見た若者がああいう存在であり、私たちも老年になったときには若者があのように見えるかもしれない。

ベルリにしても、そもそも感情はやり場がないと思います。
自分を人殺しにさせたものも、大事な人を殺したものも、元凶はいまだにわからない。
元々兵士になるための訓練を受けていた子ですし、戦争に対して感情が湧いてくるのは少し遅れるのではないでしょうか。(今回でその片鱗が出てきましたが)


若者だけではなく、この世界全体も。
見えているんだけど、一部しかわからないし、全体の真相は後にならないと分からない。
その真相も明言されるわけでもなく、状況証拠で辿って行かないと見えないものなのかもしれない。
年を取って振り返ってみて、見えてくるものもあると思います。



富野さんがGレコを「50年楽しめる」と言ったのは、そういうことなのではないかなーと思いました。
今見るGレコと、年を取ってから見るGレコは意味が変わりうる。
勿論、どんな作品でもそれはあります。
ただ、作り手が受け手の加齢を意識して、ことさらに混沌を増幅させていることが、この作品の特徴なのかなと思います。

だから、子どもたちには見てほしいし、私たちには語り継いでほしいのではないか、と。
売れなくて元データが入手不可能になる未来とかも、情勢次第ではありうるわけですし。。。

私が知ってる富野監督の経歴でも、例えば学園闘争だったり、例えばガンダムで売れっ子になったり、例えばサンマリノに来て「こういう形態の社会もあるんだ」とはしゃいだり、予測不可能だった多くの変化があります。
私たち自身が今直面している世界も、これから大きく変わっていく可能性があります。

世界の生々しいドロドロを可能な限り映像物語にぶちこんだもの、それがGレコなのではないでしょうか?

逆に言えば、現時点では理解できる人は作り手以外いないように思います。
で、理解も多分求めてなくて、受け手ごとに感じるものが大事なように思います。
子供と青年と大人と壮年、それぞれ感じるものは違うはず。

その違いとか、物語の中の不可解なモヤモヤこそが、監督がこれからの50年に対してガンダムを通じて叩き付けたかったものなのではないか?

私は、そう感じました。
ということで、表題の質問は「そのときの私たちが感じたこと」が、語り継ぐときに大事なことなのかなと思います。
逆に言えば、富野監督は叩き台を提供したかったのではないかと思います。
人が意見を交換し、この世界や人生を感じ、楽しむための叩き台です。

一方、その中で「ガンダム」がどう使われるのかが、いよいよキーになってくると思います。
ガンダムという名前と、ロボットの戦闘力、それぞれが誰の心にどんな影響を与え、状況をどう変えたか。
また、今まで共感しにくかったベルリの感情が、何に対してどこでどう動くのか。

ベルリ_convert_20150116162645


ここに、富野さんの思いが強く出てくるのではないでしょうか?
いちど気持ちがダレた分、改めて楽しみです。












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