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『まどマギ』を踏まえての『ゆゆゆ』感想 (3)They are not alone, are they?  

結城友奈は勇者である(ゆゆゆ)と魔法少女まどか☆マギカ(まどマギ)の比較、第三弾。


第一弾は少女たちの人間関係について、ゆゆゆでは少女相互の絆が強まり、孤独があまり重要な要素ではないという結論になりました。
第二弾は「ご当地」と「海外」について、ビビッドレッド・オペレーション(ビビオペ)も交え、聖地巡礼対策、海外展開対策の要素が大きく加わっていることを述べました。
今回の第三弾は、背景となる現実から、もう一点述べてみます。

少女の孤独は、さて解決されたのか?



結論から言うと、少女の孤独は解決されていません
解決されていますが部分解決です。

『ゆゆゆ』を見ていて、面白かったのが前提と技術の変化でした。
まどかは311(東日本大震災)と共にやってきた作品と言えますが、ゆゆゆは311以後です。
アプリで災害警報が流れ、その警報と共に日常が突如失われる、という流れ、確かに手法としてはありそうなんだけど、さて、まどかの時代にこういうやり方ありえたのかな?とは思う。

勿論、仮定するだけばかばかしいのは確かです。時代背景が違うから。
まどかの時代にはスマホがここまで普及していないし、まだLINEもない。

以前にエヴァの破を見たとき、文化資料としても価値があると感想で書きました。
(エヴァンゲリオンが今作られていたら、シンジはネルフ専用アプリを組み込んだ特殊スマホを持たされていたと思います)

『ゆゆゆ』劇中で、四国の田舎の中学生の女の子たちがiphone5を持っていたり、それをお風呂の中で防水対策して普通に使っていたりするのを見て、改めて思い出しました。
『ゆゆゆ』の世界は、10年後の私たちが見たとき、さて、どう映るのでしょう?
日本がどうなっているのか、私たちが生きているのかという大問題がありますが。


さて、使っている技術が変わったことで、主人公たちのセカイのシステムとの関わり方が変わってきます。
『まどかマギカ』のキュゥべえの契約の場合、魔法少女同士が結託したり、制限時間を延ばすことはシステムの根幹を揺るがしかねない問題でした。

ーならば、少女たちが結託したら?ー
使える技術が変化すると、騙す?側の使う手法も変わってきます。

とはいえ、『まどマギ』と『ゆゆゆ』では、少女たちのセカイシステムとの関係も、少女たちの人間関係も、大きく違います。

『まどマギ』では、何かを望んだ少女たちが、騙されたことが悲劇になっています。
「知っていたらこんな選択はしなかったのに!」という悲劇。

一方、『ゆゆゆ』の場合、少女たちは実は選択肢が少ない。
東郷と風と夏凛は、予め勇者システムのために配置された人材です。
友奈と樹にしても、彼らの性格を考えると、恐らく、自発的に勇者になります。

「知っていても、なお悲劇を背負う選択をする」少女たちの物語なのが、ゆゆゆ。
まどマギのまどかと友奈を比較していくと、「まどかが最初から契約して、かつ仲間に恵まれていたら?」というifの答えは、それなりに出るように思う。
…ほむら(とさやか)に当たる東郷だけは叛逆しようとしていますが(笑)


ただし、環境を絶対化して「許せないけど、勇者になるしかない」と言ってしまう友奈には、少し危険なものを感じました。
こういう考え方をしてくれる人たちは、使い倒す側からは実に都合が良いから。
宗教でもブラック企業でも独裁政権でも詐欺商法でも、友奈が風に用いたような論法で人を縛ります。
いわく、「人の役に立つ」「我慢するのは仕方ない」「選択肢はない」「特別な存在である」
システムの詐欺と主人公の関係、および、主人公の選択肢の数は、時代による変遷を見ていくと面白いかもしれません。
アニメの作られた時代とか、誰をターゲットにしているかでも違ってくるはずです。

夏凛や友奈を見たとき、「かっこいいなあ」と「ばかだなあ」は思います。
友達のために命を張れることは大事だと思います。
でも、そこは命の張り時なのか?正しく張っているのか?はまた、別問題。

例えば、神樹に話を聞く、大赦に乗り込んで全部真相を吐かせる、バーテックスとコミュニケーションを試みる、世界の外が本当にマグマだけなのかを確かめる、過去の勇者たちのことを全て調べてみる、世界の歴史を調べる、など、自殺的な暴走をする前にやれることはたくさんあります。


ここで面白いのが、少女たちの家族関係
少女たちは少女たち同士で仲が良いだけで、他の家族が全く出てきません。

樹と風は孤児です。風には大赦と戦うべき動機があるし、彼女たちに高い資質があるから、姉妹二人だけでの生活を許されて泳がされていたようにも見える。

夏凛も、本部から派遣されたからなのか、なぜか家族の影がない。
一人暮らしなのはともかく、あんなに携帯を使いこなしている人達なのに、誕生日を祝う電話の一本もない。
夏凛は努力家だし優秀だし素直だし、何より美形なので、親から見たら否定する要素がないはずです。
(ああうん、全員ビジュアルには物語補正がかかっている、というのはアリだと思います)

で、友奈と東郷。
友奈は「家族に報告しなくちゃ」と写メ撮ってるし、あんなにまっすぐに育っているので、恐らく健全な幸せ家族がいます。
でも、なぜか家族とのシーンが全く出てこない。
東郷は東郷で、親を敵と見なしています。自分たちをずっと騙していたから。
面白いのが、その親が複数形であること。
自分の両親だけではなく、勇者たちの両親たち全てに敵意が向けられています(10話)。

家族(主に大人)の影が薄い問題は『まどマギ』でもありました(さやか)。
でも、『ゆゆゆ』の場合は更に踏み込んで、意図的に大人の影を排除している観があります。
学校の先生も、『ゆゆゆ』ではなぜか顔ありが出てきません。部活だから顧問がいてしかるべきなのに。

つまり、『ゆゆゆ』には、子どもたちが相談したり、暴走を止めてくれる大人がいないのです。
だから、子どもたちは間違う。

『まどマギ』の場合には、孤独の問題がありました。少女たちはそれぞれが孤立していて、その孤独に付け込む形でキュゥべえが接触しているため、少女たちの問題は大人には気づかれにくくなっています。

しかし、『ゆゆゆ』の場合、少女たちの問題が社会全体の問題であることは、大人も先刻承知のはずです。
でも、大人たちはなぜか少女に関わろうとせず、敢えて泳がせています。
校外活動とかホームページとか、勇者部は確かに社会と関わってるし人の役にも立っているのだけど、浅いつながりです。

つまり、ゆゆゆの場合、少女個人は孤独ではないけど、少女たち全体が閉じた輪として社会から切り離されています。
コレは大赦の正体の問題でもあるし、物語の落としどころに関わってくるポイントでもあると思う。

以前の図につけ加えると、こんな感じになります(クリックで拡大)。

まどマギの場合2

ゆゆゆの場合2



この先は、最終回を見ないと分からないと思います。
「ゆゆゆがポストまどかなのか?」という問いの答えでもある。

直感的には、「子供の孤独の描かれ方がどう変わったのか?」という問いなのだと思います。




以上、人間関係の描写、使われている技術、時代背景などをまどマギと比較しながら見てきました。
私は、「ゆゆゆは、まどマギに対して、少し後の時代を生きた人間が出したアレンジ版なんだな」と感じました。

勿論、物語単体としての魅力があるし、その魅力はまどマギとは別個のものです。
一方、まどマギと同時代を生きていた作り手は大なり小なり影響を受けざるを得なくなるのも事実です。
ならば、影響を受けたモノに対して正面からぶつかって答えを出そうとしたのが、この作品なのかなーと感じました。
まどマギに対しての答えでもあるし、それだけでもない。
日常系でもあるし、それだけでもない。
セカイ系でもあるし、それだけでもない。
そういう作品なのだと思います。


まぁ
アニメなんて娯楽だから、ごちゃごちゃ言わずに見て、面白いから面白い、で良いとは思いますが。
ただ、見ている自分たちがどう変わったのか、現実とどう繋がっているのか、なぜ、どこに感動したのか。
アニメを通じて見えてくるモノは、面白いと思います。


視聴時の感想ツイートまとめ
アカメが斬る感想</a>


【見返したい方向け】 
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結城友奈は勇者である
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魔法少女まどかマギカ
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