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まどかマギカ叛逆の物語感想その10(バレ注意) 魔獣のいる世界が、ほむらにもたらしたもの  

リピーターの方も増え、考察とかも一通り出揃ってきたように思います。
私は6回目の後で本編見れてないんですが、気にせずいきます。


今回は、まどかによる改変後、魔獣と戦っていた世界について。
これまた記憶頼りの未検証なので、気になった方は劇場で確認してみてください。



リボほむと杏子とマミ、本放送の終了後何やってたの?っていう話です。
全然出てこなかった魔獣の皆さんとか。

描いてくれなかったからわからないよ!
なのですが。

ヒントが、いくつかあります。
一つが、マミとほむらの対決。
ほむらは最初から飛ばしてます。
今までのシリーズで見たことのないレベルで動き回り、武器を使いこなしています。いやここまで強かったとは。
この強さは、Misteriosoが流れているときのほむらの使い魔の質と量からもわかります。
ほむらの魔女、とんでもなく強力です。つまりはほむら自身が相当強くなっていたわけです。

片や、マミも魔力制限のある世界ではありえない量の武器を出して戦っています。
にも拘らず、両者は完璧にシンクロする。お互いを撃ってしまいそうになって顔を背けるタイミングまで同じ。
どんだけ理解し合ってるんだよ!wwwとは、前書きました。

素晴らしいのが、それをマミが「ほら、埒が明かないでしょ」と言い切っていること。
この結果は読めていたわよ、と言わんばかりに。
マミにとってほむらは、そこまでわかっている相手のようです。


一方の佐倉杏子。
この人も、「強気な暁美ほむらはしっくりくる」と言っています。
でも、今までのシリーズでほむらと杏子の付き合いはほとんどありませんでした。
杏子がそもそも、ほむらは友達とは違う、と言っています。

杏子にとっての友達とは?
杏子がさやかを救出するとき、なんでまどかを誘ったか?にヒントがあります。

魔法少女の戦いについてきてくれる人。心配して泣いてくれる人。体を張れる人。
泣いてはいないけど、杏子はほむらに対して近いことをやっています。
「強気な暁美ほむら」になった後も。
魔女になったほむらの顔に寄り添うのは、最後までほむらを探そうとしたであろう杏子です。

このように、マミと杏子の二人は、ほむらと相当強い絆で結ばれていることがわかります。

一方、ほむらはどう答えたか?
マミに対しては、(魔女かもしれないから)いったん銃を向けていますが、やはり撃てない。傷つけることにも抵抗を持ってしまう。
杏子についても、ちゃんとごめんなさいを言って、巻き込まないようにしようとしています。

なんだよ、ほむら友達いるじゃん!

結界にも、この二人を呼び込んでいます。
記憶の中にあるもので作り上げてもいいのに、わざわざ呼び込んでいる。
自分の始末は彼らがつけてくれると信じている、ともいう。

「信じる」ですよ?あのほむらが!
つまり、信じるに足るだけの積み重ねがあったということ。


呼び込んだ状況も面白い。
学校の二人ではなく、夜戦っているときでもなく、プライベートの時の私服の二人です。
もちろんファンサービスなんだけど、これ、両者を放課後も知っていないとまず無理です。

ここから想起されるのは、ウィンドウショッピングやラーメン屋に友達と一緒に行くほむらの姿です。
うん、なんか楽しそう。


面白いのが、対さやか。
彼女のことを、ほむらは「もっと不器用な子だったはず」と評しています。
以前のほむらなら、こんな言い方できたでしょうか?
改変後も顔をグッと近づけて話しています。距離を詰めることに抵抗がない。
ほむらは、ずいぶん大人になったように見えます。

そもそも、『叛逆』のほむらは「自分がどれだけの人を傷つけたか」なんて反省したり、他人を傷つけないような配慮ができる人です。これは人間とかなり関わってきていないと無理です。
前作までのクーほむだったら無理でしょう。

うん、お前誰だよ?
ガワが同じだけで中身ぜんっぜん別人じゃねーかwwww
いや、杏子が「しっくりくる」って認めてるからいいんでしょうけど。。。

このように、『叛逆』の端々から見えてくるのは、案外リア充かもしれないホムラチャンです。
では、これは何を意味するのでしょうか?


その前にもうひとつ、ほむらの作った世界の健全さがあります。
ほむらの夢の世界は健全なバランスを保っていました。視聴者がだまされるくらいに。
もともとの見滝原中学校と違い、男子生徒もふざけまわっています。
中沢君も拉致されている


これはほむらが改変した後にもみられる傾向で、風景が歪んでたり(歪んでいるらしいです)使い魔がいますが、基本は健全な世界です。ほむら自身が学校で浮いている以外は。
なぎさは学校に友達がいて元気に登校できている。杏子とさやかは仲が良いまま。先生も元の世界のまま。
まどかも家族と仲良く暮らしている。ほむら以外は、絵に描いたようなハッピーエンドです。

このバランスは、夢の中の世界にもある。
その気になれば、ほむらはまどかを独占できたはずです。
でも、ほむらはまどかの家族を呼んで、まどかを自分の元ではなく家族のもとに配置しました。
まどかの家にほむらが同居、とかでもよかったはずなのに。

杏子についても、一人ぼっちにせずさやかの元に配置しています。

いやもちろん、ファンサービスと言う作り手の事情がありますが。


もう一つが中沢君です。
彼がいることによって、先生や上条君が「ただ少女たちにとって都合のいいキャラ」ではなくなります。
中沢君が学校社会のモブ代表として、先生や上条君のバランスを取っている。
中沢君の存在によって、ほむらの夢の世界には奥行きができています。


改変後の世界でも、当たり前に見過ごしがちだけど重要なポイントがあります。
一つが、なぎさとマミが相当仲がよさそうなこと。
もう一つが、杏子が見滝原にいて、さやかと仲が良いこと。
どちらもファンサービスっていう必然はあるんだけど、物語上でほむらがそう配置する必然はありません。
なぎさは放置でもいいし、入院したままでもいいし、マミと面識なんか持たせなくてもよい。
杏子にしても、風見野で一人ぼっちの野良魔法少女、でよかったはずです。
夢の中でのカップリング()状況は、インキュベーター対策としてまどか達が講じた策の結果に過ぎない。

でも、ほむらはその路線を踏襲しています。
ほむらは、みんなをひとりぼっちにはしていないのです。

前も書いたけど、悪魔ほむらには、かなりすぐれたバランス感覚と、根本的な他者へのいたわりがあります。
だから、彼女がさやかに「人間として生きられることを喜んだら?」と言ったり、まどかの人間としての幸せを望むことにも、一定の説得力があります。
今のほむらの作ったものなら悪くはない世界だろう、という暗黙の安心感がある。


でも、これ、おかしい。
ほむらにいたわりやバランス感覚なんて、あるはずないんです。旧作の時のままの人間だとしたら。
いや、人死には前も嫌がってたけど。
どこかで何か、大きな変化がないといけないのです。

ほむらちゃんは病気がちの子でした。
学校でも恥をかくことを恐れていた子です。体育は満足にできないし、宿題も解けない。
優しくしてくれたまどかをたった一人の友達、とか言っちゃう子です。
そんな子が、みんなが仲が良い学校、よく考えついたなと思います。
皆が自分に優しい学校、なら、わかる。でも違う。皆が仲が良い学校なんです。
むしろ、自分には優しくない。

そもそも、楽しい学校生活とか、健全な家族に囲まれていた暮らしとかを送れていた子なのか?
基本的な疑問があります。
そんな子が、みんなが楽しく暮らすような状況を作れるものなのでしょうか?

こういうものは、お手本(あるべき姿)を知らないと、できないのではないかと思います。

ほむらは、魔獣と戦う世界では、みんなで楽しく暮らす世界を満喫できていたのではないでしょうか?
テレビ版のエンディングの後で、多くの視聴者が心に抱いたであろう世界です。
友達もいて、楽しい学校生活もあって、ほむらは満たされていたのではないでしょうか?
まどか改変後の世界で、ほむらはマミ、杏子と共に楽しく魔法少女クラブ生活を送っていたように思います。
それが、ほむらの変化の答えのように思います。

ほむらが満たされることは、一見、ほむらが夢の世界に来てしまった状況と矛盾します。

でも、満たされていたからこそ、問題が起きたようにも感じます。
『叛逆』の劇中にヒントがあります。

花畑でまどかに告白した際、まどかのことを自分しか覚えていない、でも忘れそうになる、その気持ちを誰にもわかってもらえない、と言っています。

まどかがどんなヤツだったか?
以前に書きました
ポイントは、ほむらの最初の願いが「まどかを生き返らせて」ではなく、「出会いをやり直したい」であること。
まどかは、死ぬと分かっていてもみんなを守るために突っ込んでいきました。
生き返らせただけでは問題解決しないような人間だったわけです。

ほむらにとって、まどかは優しくしてくれるから好き、ということではないと思います。
強くてかっこいいあこがれの存在で、輝いていた人間だったのではないでしょうか。

そういう人のこと、忘れちゃうものでしょうか?
そういう人への追憶だけなら、みんなにもわかってもらえるのではないでしょうか?特に戦友には。

ここに、問題の複雑さがある。
魔獣のいる世界で、ほむらが満たされ、強くなってしまったことが、今回ほむらがこんな暴挙に出た原因になっているのではないでしょうか?

最初からずっと一人で戦っていたら、まどかのことなんて忘れようがないと思うのです。
そうじゃない、同じくらい輝くものが出てきたから、まどかのことを忘れそうになったのではないでしょうか?

皆と触れて楽しく暮らす中で、まどかのことが相対化され、色あせる。
これは自分が強くなったこととも関連します。
強くてかっこいい永遠のヒーローではなく、自分が比較できる対象として、等身大の人間あるいは戦士として、まどかが見えてしまうようになったのではないでしょうか?


ほむらにとって、まどかは神聖不可侵の存在だったように思います。
強くてかっこいいまどかを知っていることと、知っている自分に強い自負があるようにも思う。
ここにないものでも、神聖なるものが神聖だということは、まだ他の人にわかってもらえます。
でも、ここにない神聖なるものを超えつつあったり、その記憶が色褪せつつある自分の寂しさは、他人には理解されないのではないでしょうか?

上で見た通り、まどか改変後のほむらはもう、まどかなしではいられない人間ではありません。
「振り返れば仲間がいて、気が付けば優しく包まれて」います。

だから、ほむらがあんな悩みを抱いたこと自体が、彼女が満たされていた事実を裏付けているように思うのです。
満たされているから、まどかを忘れる、という問題が起きる。
ほむらは、なまじ心身ともに強くなったために、まどか離れの時期を迎えたのではないでしょうか?


そうなったら、どうなるか?
ほむらの性格だと、自分を許せなくなると思います。
楽しい日常におぼれて、一瞬まどかを忘れてしまった自分に気づく。
その瞬間、激しい自己嫌悪に陥るように思います。

こんなことではいけない、と、仲間と距離を置くのではないでしょうか?
次第に一人で行動するようになっても、おかしくはない。
一緒に戦っていても、なまじ仲間の気持ちがわかるから、辛くなっていくと思います。

『永遠の物語』(TV版12話)の最後の砂漠のシーンで、ほむらが一人で、翼も濁っていたのは、そうやって距離をとった結果なのではないでしょうか?(そしてインキュベーターに囚われる)


この破局は、必然だと思います。
ほむらが強くなり、人と触れて成長していく過程で、まどか越えはどうしても避けられないと思うからです。
まどか越え、二つ意味があります。
自分の中のヒーロー像としてのまどかを超えることであることが、ひとつ。
もうひとつが、まどかを殺してしまった自分の罪への決着です。

だから、ほむらはどのみちどこかで「心の中のまどか」との対決は避けられなかったと思います。
その結果が叛逆か、そうでないかは別として。

以前に、ほむらが強くなったからまどかの弱さが見えた、と書きました。
でも、そのスタートは、ほむらがこの結界を張れた、というところにあるように思います。


まとめると、
魔獣のいる世界でほむらは健全に魔法少女として生きていた。
その結果、自分の心の奥底にあるまどか問題との決着をつけられる段階に来た。


といったところ。

なお、まどかとバレエの関わりが各所で指摘されていますが、「叛逆」のイベント進行は旧作(恐らくTV版)とかなり似ています。全体の1/4進んだところで「明るく楽しい魔法少女ライフ」が崩れ始め(旧作ではマミが死ぬタイミング)、半分まで来たところで世界の残酷な真相が暴かれます(旧作ではソウルジェムの秘密が明らかになるタイミング)。そのあとの1/4で世界の秘密に迫ることになり、全体の3/4の手前で魔女化が発生します(さやか魔女化のタイミング)。
そして、ワルプルギスの夜襲来とほぼ同じタイミングで、魔女が入り乱れての大戦争(まさに魔女たちの宴ですね)になります。
この点、新劇は旧作を基本構成同じまま役を変えて2時間に焼き直したもの、とも言えます。

まどかの冒険物語の暗黙の前提が「まどかが人間として満たされていたこと」だと考えると、この「少し違う形で満たされいた」かもしれない前提をほむらが持っているという構図は、とても面白いです。
ここでも対比が見て取れます。



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コメント

前回はご返信ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願い致します。
今回も楽しく感想を読ませて頂きました。

ほむらのまどか離れ、これに関しては私も同じような事を考えておりました。

ほむらは現実世界では時間停止の能力を失い、弓で戦うようになっていましたね。
今まで自分だけの世界で有利な戦いをしていたほむらとは違い、後の無い本当に命懸けの、魔法少女の戦いをいていたように思います。
その中で、マミさんや杏子と共に成長していった。
二人の事を理解する時間もできたのでしょうね。

気になる点、某所で「ほむらはなんでソウルジェムを奪われるなんてヘマをやらかしたのか」という疑問を見かけたのですが、これは
ほむら自身が満たされていて、救済を待つ為に自ら眠りについたと考えています。そこをQBに付け込まれたと。

ほむらの願いの根源はまどかを守ること。でも、守るべき彼女はもうこの世にはいない存在で、希望はいつか訪れる救済の時。
魔法少女は戦い続けなければならない。しかし、戦い続けていては永久に最愛の彼女に逢えない。このジレンマがあったのではないでしょうか。
それを、ほむらは弱さだと言いましたが。

「ほむらにとって、まどかは神聖不可侵の存在」確かにこれはあったと思います。
でもほむらは、道は違えてしまったものの、まどかと対等の立場になる事ができた。
手の届かなかった存在にようやく触れることができた。これはやはり、ほむら自身の成長の証でしょうか。

さわKさんの考察を見ていると新しい発見があって、また劇場に足を運んでしまいそうです(笑)

駄文・長文失礼致しました。

URU #- | URL
2013/11/03 10:01 | edit

さわKさんの考察・解釈はとてもユニークで面白いですね。
過去のまどか記事も読ませてもらいましたが、どれも見たことのない視点で語られていて、(それでいて理屈とフィーリングのバランスが絶妙で)うなりました。

ネットで考察って言うと、一瞬出てくる画像や、かなりマニアックなモチーフ探しが多いですが、(そういうのも好きですが)あなたのようにセリフや物語の構造を丁寧に読み解いていくやり方は作品の持つポテンシャルがわかって面白いです。

たぶん叛逆の物語の続きが制作されるだろうから、少なくともそのときまで頑張ってください。

UJ #- | URL
2013/11/03 19:28 | edit

Re: タイトルなし

>>URUさま
返信遅くなりました。
改めて、改変後のほむらはおっそろしいです。視野が広いというか気配り凄まじいというか。
旧作ではまどかの強襲能力がピカ一でしたが、新劇のほむらはまどかの突撃を止められそうです。

ほむらが「弱さ」というときの、『叛逆』を通じて見せた他人に対しての寛容とは異なる攻撃性が答えなのかなと思います。つまり、ジレンマを自分自身が強く感じ、嫌悪していた。
実際にほむらが出した答え(戦ってぶち破れ)と、ほむらの開戦宣言ともとれる今までのOPEDを見ていると、確かに戦わなかったその少女は弱かったのかな、とも思います。

そのつもりで見返すとミステリオーソのシーンもかなり違って見えます。ホムリリーの残してる余力がヤバい。
本気で反撃したら円環勢撃退されてたんじゃないかな、とも思います。
正面からやり合っても、まどかと対等に戦えるくらいに強かったんじゃないかな?というのは。。あるかもしれないです。

いつもコメントありがとうございます。

さわK #- | URL
2013/11/08 01:16 | edit

Re: タイトルなし

>>UJさま
とても嬉しいエールをありがとうございました。
そう読んでいただくのが自分がずっと磨いてきた技になります(北大の恩師から学んだ姿勢でもあります)。
だから、お読みいただいてUJさまに何かが残ったのであれば、頑張り甲斐があったというものです。
これからも、感覚と伝える術を妥協なく磨いていこうと思います。

コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

さわK #- | URL
2013/11/08 12:25 | edit

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