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まどかマギカ叛逆の物語感想2 (バレ注意) ここがすごいよ叛逆の物語  

いやーヤバいですねこの話
見終わってカラオケ行ったんですが、そこで一気にキました。

バレ全開です。見ていない人は可能な限り早くの視聴をお勧めします。
この作品の評価は「見た回数」と「TV版、過去の劇場版を見た回数」に比例して良くなるように思うからです。



すごいな、と思った理由は二つ。

1:劇場版3部作の本命がこの叛逆であると実感できたこと。
劇場版の企画が出た時点からのまどか関連の発表全部、この叛逆を軸に考えると、今までと意味が変わります。
具体的にはルミナスの歌詞、ルミナスの映像、劇場版とテレビ版の違い、KANのほむらの巻のタイトル(TV版と総集編だけだと「狂狷」という言葉を当てるのはあれ?と思いました。今日のためのものだったと思います。)、叛逆のキャッチコピー(やっと逢えたね、って普通まどかのセリフだと思いますよね)、など。

叛逆の物語の内容を前提にして、布石が打たれている感があります。
だから、見るほどに、復習するほどに、この作品は意味が変わる。


では、肝心の内容、何が凄いのか?


2:ほむらの成長と帰結がちゃんと描かれていること。
あのストレスフルで演出過剰っぽい世界がほむらのホンネであることを考えると、非常に面白いです。
もうひとつが、ほむらが悪堕ちしたときに何をして、誰に何を言ったか。

たとえば、なぜなぎさが登場する必要があったのか?
もちろんファンへの媚やら営業戦略もあるんでしょうが、これがほむらの「あらまほしけれ」であることを考えて過去の話を振り返ると面白いです。
TV2話、劇場版だと前編35分くらいの夜の公園のシーンで、ほむらとマミが喧嘩をします。
あの時、ほむらがどう思っていたのか。「だからこそ」なぎさが出てきたのではないでしょうか。
マミを死なせたことを心の底から悔やんでいるから。
勿論、あれまどかの仕込みでもあるんだけど。なぜ影の魔女やら薔薇の魔女ではダメだったのか、なぎさでなければならなかったのか、という理由、あるとすれば面白い。


また、ほむらの友達は、本当にたった一人なのか?という点があります。
それも、違うと思う。

インキュベーターの罠だと分かったとき、「杏子とマミがいれば・・・!」とほむらは言っています。
二人に全幅の信頼を寄せている。
杏子のことは自分の世界に入れる必要はないのに、わざわざ風見野から引きはがして見滝原に入れている。

悪堕ちした後、さやかとなぎさにしても、わざわざ現世に存在できるようにして「自分を止めることができる」位置に置いています。

まどかのことも、自分に都合が良いまどかに対して「都合がよい」ことに疑念を抱く。
自分に都合が悪い、自分と違うことを言うまどかだからこそ好きだった、とも。

最後のリボンを返すところもいい感じですよね。
ほむらが引きはがして自分のそばに置きたがったまどかは、自分のそばにいてくれる自分だけのまどか。
でも、そのまどかが自分のわがままを否定するからこそ、ほむらはまどかへの愛を再確認する。

ほむらは、自分が間違っていることを理解しているのです。


自分自身のわがまま、自分にとっての「いてほしいまどか」と、まどか自身の願いをちゃんと切り分けています。
両者は矛盾している。じゃあどうするか?
狂信的な愛だけど、盲目的な愛ではない。

以前のほむらは、自分が消えたり相手を否定することを選んでいたように思います。

でも、醜く(悪になったとしても)自分は生きたいとほむらは願う。そのときにまどかにそばにいてほしい、と。
たとえ、そのまどかが敵だとしても。それでも、やっぱり会って一緒にいたかった。
自分と同じ世界の人間として、幸せになってほしかった。

まどかマギカという作品をここまで見てきた人なら、ほむらの心情には多分に同情できると思います。


こうして見てくると、ほむらは確かにヤンデレなんだけど、存外バランス感覚が機能しているように見えます。
彼女が望んだ彼女の世界には、彼女を止めてくれてみんなで仲良くできる友達がいる。
決してまどか一人には依存していない。

まどかにしても、ほむらのことを全肯定してくれるから好き、というわけではない。
自分と違う道を突き進むまどかだから、ほむらはいとおしく思う。


理屈を歪めてほむらが自分のために用意した世界は、自分にとって居心地が良いわけではありません。
むしろ、棘がある世界です。

ほむらは自分が間違っていることも理解している。
理解していて、間違っているよと言って自分を止めうる友人を複数そばに置いています。

その世界で、ほむらは自分の愛よりまどかの幸せを優先しています。


まどかマギカの物語にほむらが初めて登場した時、彼女は一人ぼっちでした。
信頼できる友達もいないし、その友達にしても一人に盲目的に依存していました。
マミのことなんて見ちゃいない。さやかともマトモにコミュニケーションをしていない。

叛逆では、このあたりの問題が解消されています。
ほむらが描いて見せた自分の居場所は、確かに厨二だけど、ほむらにとって耳に痛い部分がちゃんと残っている。
このバランスこそが、ほむらが何度も何度も時間を飛んだ先に得た成長なのではないでしょうか?

まどかだけを愛していると言い、世界は憎しみと悲しみばかりにあふれているとほむらは言います。
でも、彼女がホンネで見ていた世界はだいぶ違うように思います。

多くの出会いと別れを繰り返す中で、彼女は本当に大事なものをちゃんと掴み取っていたのではないでしょうか。
悪堕ちしたほむらの本質は、ヒルズで仁王立ちしているほむらと変わらないように、私は感じました。
まだ一回しか見ていないから何とも言えないけど。

何度も見ていくと、このあたりの詳細が分かるように思います。
もし私があの世界にいたら、ほむら陣営に身を投じると思います。

今にして思うと、物語全体で「叛逆の物語はほむらの涙だ」という表現がしっくりくるように思います。





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