Blinking Shadow ホーム » ガンダムAGE »「馬小屋のガンダム」再考 【1年目のガンダムAGE】

「馬小屋のガンダム」再考 【1年目のガンダムAGE】  

ブログ記事作成のデフォをガンダムAGEにしていたのですが、いつの間にか「ガンダムAGE」というテーマ自体ガ消えていてびっくりです。AGEに使うはずだったエネルギーが全部まどマギ劇場版に消えました。

ほんっとーにお久しぶりです。同人作ってなくてごめんなさい。
そういえば、アセム編がらみでAGEの新たな企画があるみたいですね。

全然関係ないのですが、Twitterで他の方と話すうちに去来したテーマです。


アセム編は、ちょうど、ほぼ1年前に始まりました。
また、タイトルが「馬小屋のガンダム」。
ちょうど1年前にはゼハートがアスノ家の馬小屋に忍び込んでいます。

たまたま、つながりました。

「馬小屋」という言葉には、意外な意味が隠されていたのかもしれない。
同時に、ガンダムAGEの新たな可能性が見えてきました。

今回のテーマは、1年目の「馬小屋のガンダム」です。
ゼハートのアスノ家探訪一周年記念!


尚、元のやり取りはこちらです。




放映の当初から、「馬小屋」は救世主と絡めて連想されていました。
キリストが誕生したのが馬小屋だからです。

ガンダムAGEでは、1クールごとの「○○編」の最初の回のサブタイトルには、「ガンダム」がつきます。
フリット編では「救世主ガンダム」、アセム編では「馬小屋のガンダム」、キオ編では「じいちゃんのガンダム」で、三世代編では「キオの決意、ガンダムと共に」となります。

なお、このほかにフリット編で「進化するガンダム」、キオ編で「奪われるガンダム」、三世代編で「壮絶 トリプルガンダム」がありますが、特に強い規則性は見出せません。

また、ガンダムAGEでは乗り手のガンダムへの呼びかけが特徴的に描かれています。
フリットは「行こう、ガンダム」アセムは「一緒に生き延びよう、ガンダム」。これが、それぞれ2回ずつ。
いずれも、少年時代に自分専用のガンダムに対して呼びかけています。
キオだけは、AGE-3に「よろしくね、ガンダム」、AGE-FXに「ガンダム…僕に力を貸してくれるよね?」と語りかけています。

ここまでは、フリット編の頃からお気づきの方もいらっしゃると思います。
Twitterでこの呼びかけを書かれている方がいて、台詞集を見返したのが始まりでした。





ガンダムAGEには、もう一機、ガンダムがいました。


ゼハートの駆る、ガンダムレギルスです。
ゼハートは、ガンダムにどう呼びかけていたのか?

該当するとしたら44話ラストの出撃シーンか、45話でレギルスを使いこなしたときです。
どうなんだろう、と見てみると、彼には該当する台詞がありません。
いや、あるのですが・・・(44話45話の台詞集から引用しています)

44話
「何としても乗りこなしてみせるさ」

45話
「これがガンダムか!」
「乗りこなしてみせる!」
「まだだ!レギルスの力はこんなものではない!」
「私がイゼルカント様と同等か、それ以上にまで覚醒しなければ、ガンダムの本当の力は発揮されない!」
「つかんだ…!ガンダムレギルスの力!」
「だが私は、ガンダムレギルスの力を手にした。」


この後、ゼハートはその死まで、ガンダムレギルスに語りかけるシーンはありません。

見て取れるものは、アスノ家の3人との温度差です。
ヴェイガン(イゼルカントとゼハート)にとっても、アスノ家にとっても、ガンダムは「ただのMSではない、特別な力を持ったMS」です。でも、アスノの少年たちはガンダムに対等の心があるかのように語りかけるのに、ゼハートは距離を置いています。彼にとってのガンダムは、乗りこなすべきマシンです。

なぜ、この差が生じたのか?

ひとつは、ガンダムと接していた絶対的な時間の長さです。
思えば、アスノの少年たちにとって、ガンダムは幼い頃から家族同様に馴染んできた存在です。
焼け出される前にフリットの家には、毎日必ず使いそうな場所にガンダムの大きな肖像画があり、執事がガンダムの由来を語って聞かせています。焼け出されてからは自分の手でAGE-1を作り、一緒に育っています。

アセム編では、トルディアのアスノ家の馬小屋の中にAGE-1が隠されていました。
つまり、アスノ家のメンバーはAGE-1と一緒に暮らしていたことになります。バルガスのほか、少なくともフリットはそのことを知っていたはずです。

アセムも、AGE-1の所在はわからないにせよ、ガンダムの話は繰り返し聞かされていたはずです。
彼がガンダムを継いで人々を守るのは規定路線のはずだったので、アセムにとっても他人事ではありません。
もっとも、彼はGエグゼスの方がお気に入りだったのかもですが・・・

キオはキオで、物心がついた頃にフリットじいちゃんがシミュレーターを持ち込んでいます。
ガンダムの話も、繰り返し聞かせていた様子。また、AGE-3は二つの部品に分かれ、フリットの管理下にありました。

キャプテンアッシュも、遭難から連邦軍に復帰するまでの13年間、常にAGE-2と一緒です。

つまり、アスノの男たちは全員、物心ついたときからガンダムに馴染んで生きているのです。
一番短いキオにしても、10年ちかい年月の蓄積があります。これはヴェイガンの誰よりも圧倒的に長い時間です。


AGEの大きなテーマに、年月をかけることによる成長があります。
寿命が短いヴェイガンは、人間が熟練して次の世代まで生き残ったり、世代間でノウハウを蓄積することができませんでした。
それが、ヴェイガンの敗因になっています。


この「時間の蓄積」が、次の問題、ガンダムとの関わり方の質につながります。

アスノの家のガンダムは3機とも、AGEシステムがそれぞれのパイロット専用に作り上げたともいうべきガンダムです。
AGE-1は最初はフリット専用ではありませんでしたが、フリット自身が優れたメカニックだったので、自分に合うように手を入れることができます。
また、途中からはフリットの戦歴に対応するように武装が変わっていきます。
AGE-2もしかり。最初はただの可変機でしたが、途中から4本の手を駆る魔人になり、最後はダークハウンドというトリッキーな機体になっています。
AGE-3はキオと接していた期間自体は短いですが、彼の意思に沿うかのようにAGE-FXへと進化しました。

このように、AGEシリーズのガンダムは乗り手の性格や戦い方を反映して進化していきます。
パイロットの歴史(生き様)がそのまま反映されていると言ってもよい。
この意味で、AGEシリーズのガンダムには二重のAGEがかけられています。
パイロットがガンダムと共に過ごした時間(AGE)が、AGEシステムによってフィードバックされ、パイロットによりフィットするように進化してきています。

アスノ家の時間(歴史、伝統)の厚みを背負っているのがAGEシリーズです。


では、4機目のガンダム・レギルスはどうか。
レギルスが背負う意味も、決して軽くはありません。
アスノのガンダムたちに劣らない、とても素敵な意味を背負っています。
この辺で書いています。昔の私の方が冴えているように見えるのは気のせいじゃない。。。かも。

レギルスは相互理解から生まれたガンダムです。
キオがAGEシステムを継いだ者として判断し、イゼルカントの「棄民された火星の怒り(尊厳)にどういう値をつける?」という問いに「ありがとう」で返し、「人として生きる希望をつなげる」形で生まれました。

AGE-FXに勝るとも劣らぬ性能を発揮しますが、実はゼハートのレギルスは有人機の撃破数がゼロです。
ツインアイのガンダムになってからは人を殺していないのがレギルスです。
そして、ゼハートの「ありがとう」と共に、虚空に散華します。
「ありがとう」ではじまり、「ありがとう」に終わる、ゼハートの理想を体現するかのような気高さをもつガンダムであるといえます。

また、イゼルカントもゼハートも、理想を具現する存在として、レギルスを特別なMSとして扱っています。
だから、イゼルカントの理想のバトンタッチのときに、ある種の神器としてレギルスが受け継がれています。

こうしてみてくると、レギルスが背負う意味は、「敵同士の相互理解」「崇高な理想」です。
この点、レギルスは特定時点の中での、人間の横のつながりの結晶のような機体だといえます。

アスノのAGEシリーズは時間の流れと共に蓄積された関係に拠って立っているので、対になっています。
大まかな図にすると、こんな感じです。


umagoya



乗り手が短時間で大きなカッコイイ意味を背負えるガンダムは、レギルスです。
一方、アスノのガンダムの乗り手たちは長い時間をかけて、ガンダムと過ごした意味をじわじわ蓄積していきます。

―煌びやかな才能や「完全」を、時間の蓄積が超える―

AGEのテーマが、ここでも見て取れます。


もうひとつのポイントは、レギルスの方には「ガンダムと共に暮らすことで生じる何か」という要素が最初から組み込まれていないことです。


ここで、馬小屋が絡んできます。


トルディアのアスノ家で、AGE-1は馬小屋に隠されていました。
では、アセムにとって馬小屋とはどのような場所だったのでしょうか?

まず、アセムたちはフリットの留守のときにフリットの書斎に上がりこんでいます。
アデルの設計図もあったのに!!!
アセムにとっては、アスノ家で「お父さんが怖いから入れない場所」が存在しなかったことがわかります。
また、回想では幼い彼がフリットと馬に乗っているシーンが描かれます。

つまり、アセムにとって乗馬も馬も、決して遠い世界のことではなく、ごくごく身近な、私たちが「みんなでバーベキューやるから物置からキャンプ道具を出してくるよ」程度の感覚のものだったと考えられます。

AGE-1が置かれていたのは、そういう場所です。
アセムにとってガンダムが何か、といえば、前述のように幼い頃から馴染んでいた存在のはずです。
だから、ガンダムに遭遇することは確かにびっくりで一見非日常のように見えるのですが、ガンダムはあくまで、日常の暮らしの中から出てくる存在です。

では、ゼハートにとってはどうか?
セカンドムーンには動物がいませんでした。
ゼハートも、概念では知っていても、実際の馬は見たことがなかったはずです。
馬小屋も、馬のある暮らしも、馬を趣味にする暮らしも、実感が湧かない。
※クロスボーンガンダムでもありましたよね
馬小屋は、アスノ家がMSを隠すための隠れ蓑にしている場所としてしか捉えない。

あくまで、武器の隠し場所です。
ガンダムも、確かに他の人よりも縁が多くありますが、ゼハートにとっては機械、ないしは使いこなすべき力に過ぎませんでした。
ガンダムを「日常」と感じるほどの距離になったこともなければ、その感覚が定着するほどの時間も与えられていなかったのがゼハートです。
レギルスにしても、セカンドムーンが地球圏にきた「あと」で渡されているので、付き合いがとても短いです。

このガンダムとの関わり方の差が、ゼハートの命運を決めます。
45話以降、彼は目に見えてガンダムを意識するようになります。
レギルスを使いこなしただけで尊大になったり、ガンダムを倒すことにこだわり過ぎて大事なものを見失ったり。
その結果、命まで落としています。

もともとガンダムを意識する傾向はありましたが、実際に自分が自由にできるようになって、意識が過剰になった感があります。
この点、彼はガンダム(という概念)に呑まれたと言っても良い。


ガンダムAGEは既存のガンダムに対して様々な角度で挑戦をしています。
「ガンダムとは何か?」のひとつの答えも、そうした挑戦のひとつであったように思います。

ゼハートは、ガンダムという偶像を過剰に意識してしまった人間なのではないでしょうか?
ガンダムに関わった、現実のある種の人たちのように。


こうしてみると、馬小屋というのは非常に面白い隠し場所になります。
専用の隠し格納庫ではなく、日常の端っこにある空間。
アセムにとって、馬小屋はあくまで馬小屋です。馬もガンダムも日常の暮らしの中にあるものたち。
でも、火星圏で育ったゼハートには、日常という感覚が認識できない空間。
ゼハートにとっては、馬小屋は他の目的のために偽装する場所です。ガンダムのために馬がある。

この違いです。
ただの小屋に、小屋以上のものを見てしまう。
「目の前の現実も見えない男が!」という、ゼータガンダムの世界ですね。

同じものを見ていても、アセムとゼハートの間には埋められないギャップがあります。
それが異なる文化に育つということでもある。

ひとつ惜しまれるのは、「ガンダムを見るアセム」をゼハートが見たことがないこと。
ゼハートの感性であれば、アセムがガンダムに対して自分とは違う接し方をしていることを感じ取るはずです。
でも、ゼハートにはそのチャンスが与えられませんでした。

だから、彼の中でガンダムという偶像は肥大化していきます。「掴んだ!」となり「乗りこなした!」となる。
アスノの少年たちのように、ガンダムを兄弟のように扱う感覚にはならないまま、ゼハートは死んでいきました。


ところで、馬小屋には別解があります。
ガンダムAGEのガンダムを「とんでもない名馬」、つまり『北斗の拳』のラオウの乗る黒王号や『三国志』の赤兎馬と置き換えても、それなりに話が通るのです。
馬を、乗りこなす乗り物と見る(ゼハート)か、対等のパートナーと見る(アスノの少年たち)か。

制作過程で「ガンダムって何だろうね」「馬みたいなモンじゃない?」「ああ!当てはまるかもね!ソレ採用!」みたいなやり取りがあったとしても、私は納得できます。



馬小屋の意味がいずれであるにせよ、ポイントはガンダムに対して「時間を経てじっくり向き合うこと」が評価されていることです。
これはガンダム観だけではなく、フリットとイゼルカントの「敵」や「現状」への向き合い方の差にもなっています。
恐らくは「神」や「力」といったものについても、対照的になるであろう接し方です。

フリットのヴェイガンへの呼びかけは、なによりヴェイガンの面子に配慮しています。
ヴェイガンをよく理解し、ヴェイガンに沿った考えができる人間でなければ決して言えないことを、原稿もなしですらすら言っています。
とても強い感情を持って憎んでいたにも関わらず、ヴェイガンを理解するチャンネルをフリットが閉じていなかったわけです。
ああ言えるということは、頭での理解だけではなく、肌でヴェイガンの感情の機微まで考えていたはずです。
「戦士」なんて表現は連邦の常用外ですから、ヴェイガンの会話を相当注視していないとまず意識に引っかからないはずです。


ガンダム観の差は、そのままアスノとヴェイガンとの世界への向き合い方の差にもなっています。
言い換えると、レギルスもAGEシリーズと同じスタートラインの「救世主ガンダム」にはなりえます。
38話の起動が1話とかぶるような構成にもなっています。

でも、
レギルスは馬小屋にいることができるのか?
じいちゃんと共にあることができたか?
ゼハートは、ガンダムと「共に」決意をするだろうか?


ここで、冒頭で紹介した「救世主の生まれる場所」としての馬小屋が絡んできます。
イゼルカントが37話で「ヴェイガンはマーズレイのせいで心の余裕をなくしていく」という意味のことを言っています。その余裕の差がガンダム観の違い、そして世界観の違いを作ってもいます。

余裕の差がもたらすものは、「ガンダムのある馬小屋」の見え方の違いです。
フリットやアセムにとっては、馬小屋は(上述のように)馬もガンダムもいる場所です。どちらも生活の一部。
ところがゼハートにとっては明確に序列がつきます。「ガンダムを隠す」ことが最優先事項。馬小屋はそのための建物。その点、格納庫と変わりがない。


AGEの物語では「救世主」が双方のサイドにいました。人間としてもガンダムとしても。
双方の救世主が、馬小屋に何を見て、それが救世主としてのあり方にどう関わったのか?
私たちは結末を知っています。

今から見返すと、アスノ家の馬小屋には、なるほど「馬小屋のガンダム」と名づけるべき物語のテーマが集約されていたように思うのです。


また、「ガンダム」を「馬」や「神などの力」と置き換えても意味が通ることは、AGEのテーマに普遍性があることを示します。
Twitterでちょっと触れましたが、たとえば、連邦を中国やローマなどの古代帝国にして、ヴェイガンを「長城の外の辺境に追いやられた異民族」としてみます。
異民族は馬を仕入れて逆襲してくる。一方、平和が長く続いたでは馬を使った戦い方自体が廃れ、苦戦する。
そこに「弓騎兵の扱い方」と「伝説の名馬の育成法」を引っさげた主人公たちが登場する、と置き換えても成立しうる話です。
ポイントはあくまで、馴染むように隣に寄り添って時間を重ねるか、短時間で多くを吸収するような接し方をするか、という違いになります。どちらにも短所と長所があります。

AGEは海外でも配信されました。また、まどかマギカも海外で快進撃をしています。
アニメを取り巻く環境が変わりつつある今、いつもと違う見方で見返してみると、また発見があるのかもしれません。






にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

category: ガンダムAGE

thread: 機動戦士ガンダムAGE

janre: アニメ・コミック

tb: 0   cm: 9

コメント

お久しぶりです。

ガンダムの名を称揚する行為の最初は僕が知る限りではVガンダムだったかと思います。逆シャア以前の富野氏ならば絶対にやらない行為でした。最も最初においてガンダムがただのメカニズムでしかないということを徹底させることでエポックメイキングをしたのです。

この傾向は次のGガンでよりはっきりと「自身の肉体の延長であり、身をまとう鎧のようなもの」として主人公は文字通り「ガンダムを呼ぶ」ことにつながります。

逆にあえて「ガンダムの名を呼ばない」ことによってその名前の意味の重さと深さを表現したのが「ターンAガンダム」でした。これとある種対峙するように「優れた兵器」以上の存在にさせないことを徹底させる方向性を選んだのがガンダムWやSEEDでしょう。AGEのガンダム観に強く影響を与えているのはOOのガンダム観ですが、一面においては兵器としてのガンダムという視点も共存しているとも言えます。

OOのガンダムは、乱暴かもしれませんが「神の名と同質の存在」です。ソレスタルビーイングにおける神の名を呼ぶ行為がそのままガンダムという言葉に集約される。アスノの一族達がガンダムへ向ける視線もこれに近いと思われますね。

逆にゼハートとしてはガンダムは「優れた兵器であり、ヴェイガンの指導者の御座」という意識でしょう。これもまた、ガンダムの一つの視点です。ここではガンダムという名が刻んできた二つの意味合いが並列しているということでしょうね。

ドクトルK #- | URL
2013/02/06 00:13 | edit

>>ドクトルKさま
コメントありがとうございます。私はそこまで考えたことがなかったのですが、記憶をたどってなるほどと思いながら拝見しておりました。「ガンダム観」については、私はZsphere様同様、「アニメ史やガンダム史を総括したものがAGEである」と考えます。このため、AGEにも複数のガンダム観が混在していて、異文化同士の激突や差異が劇中人物の命運にも影響していると思います。

ただ、ご提示いただいたどの類型にAGEが当てはまるか、といえば、「強いて言うなら」VとOOが混在しているのかな、と思います。アスノの少年たちのガンダムへの呼びかけにはウッソとガンダムとの距離感に通じるものを感じました。また、ゼハートのガンダムへの位置づけも、クロノクルやワタリーがガンダムを読んでいたものに近いのかな、とも思います。ただ、そこはやはりAGEの独自性があって、アスノの場合は一緒に育ってきた存在であること、ゼハートの場合は育った環境とイゼルカントへの信仰が非常に大きく影響していると考えます。

本年も、よろしくお願い申し上げます。

さわK #- | URL
2013/02/08 03:19 | edit

ふと気がついた事なんですけど、ガンダムAGEのテーマって対義なんじゃないのかと。
例を挙げるとすれば
・地球と火星の環境の違い。地球には海や森など、綺麗な物が沢山あるのに対し稼いではそれがない
・(フリット編に限ったことかもしれませんが)モビルスーツの強さの違い、びっくりするほど弱い地球連邦軍のモビルスーツに対する、ヴェイガンのモビルスーツの強さ
・そして今回のガンダムに対する想いの違い。ガンダムを家族と思っているアスノ家とガンダムを兵器と思っているゼハートとイゼルカント等
やはりこうして見るとAGEは面白い

#- | URL
2013/02/19 23:12 | edit

>>-さま
それは大いにあると思います。今回の新作でもそういう構図になってましたよね。

さわK #- | URL
2013/02/22 01:16 | edit

お久しぶりです。
ガンダムAGEの新作、というかアセム編中心のストーリーが始まるようですね!
何故アセム編が選ばれたかは恐らく、アセムが実は1番強いからかもしれません。
(理屈としてはおかしいかもしれませんが)

さわKさんが以前このブログで
『魔法で強くなってる魔法少女の子達より、心が強い普通の女の子の方が強く描かれているのです。』
『まさに「スーパーパイロット 対 退化したXラウンダー」の構図だったりします。』
と言ってました(引用)。

まさにそうで、実際にデシル・ガレット、ゼハート・ガレットというアスノ家因縁の兄弟を倒しています。実質一人で。
Xラウンダーではない人がXラウンダーを2人も倒している訳です。
しかもアセムは、父親(フリット)と同じように大切な人をデシルに殺され、息子(キオ)と同じようにゼハートと関わりがあります。
つまり極端に言うと、アスノ家のヴェイガンとの戦いはアセムの周りで渦巻いていたんだと思うわけなんです。

それと最近良い動画を見つけました。
(httpで張るのを自重しました。すいませんが『ガンダムAGE stone cold』と検索してください。)
ユーチューブでの動画なんですが、良い曲にAGEのシーンがダイジェストになって流れます。
曲自体も『セイクリットセブン』の1期OPでかなり良いものですが、AGEのシーンも(尺の都合で早送りになってる部分もありますがむしろ+に作用して)かなりかっこいいです!
特に歌詞の内容と映像がちょうどいい具合にマッチしています。
テンポもよく、MADの利点をフルに発揮した総編集MADと言えるかもしれません。

宮藤椿 #- | URL
2013/02/26 22:54 | edit

>宮藤椿 さま
拝見しました。素晴らしい動画ですねこれ。ぜひ紹介したいです。
ありがとうございました。

アセム、まさにまさに。
所属も連邦→海賊→火星(ゼハートを継ぐから)と推移していくでしょうし。
快男児というべき素敵な生き方だと思います。また新作が楽しみですね。

動画は。。。コレ癖になりますね。今後もよろしくお願いいたします。

さわK #- | URL
2013/03/05 19:07 | edit

>>さわKさん
返信有難う御座います。
先ほど、フリット編を三話まで見たのですが(アニメはフリット編終盤から視聴をしてそれ以前のはPSP版で大体の内容を把握)一話の再考察であったこれがもし火星だったらどうなるのか?という感じで見ていくというのを重視してみた結果、フリットにとってはガンダムが救世主だと言ってたのに対し、もしかしたらヴェイガンにとっての救世主はEXADBによって出来た強力なMS達だったのではないのか?などと思ったり。
そしていつぞやの考察で1話とキオ編最終回(何話かは覚えてないのですが)はヴェイガン側と地球側の情勢がひっくり返ったような状況で、一話でフリットがガンダムを出した時と同じようにレギルスを出したという状況について。
フリットはその後どんどん力をつけていくのに対しイゼルカント、ゼハートがフリットのように力を付けていくのが出来なかったのはレギルスを救世主と思わなかったからではないのか?と思いました。
ディーバには戦闘データで進化するAGEシステムがあるから。と言ってしまえば元も子もないですが子供向けアニメだからこそ、こういう思いの違いでフリット達が勝つことが出来た。というもう一つの結論にも達する事が可能になるのではないか?と自分は思います。

#- | URL
2013/03/08 03:30 | edit

>>-さま
お世話になります。
ご指摘のポイント、とても重要なことだと思います。
周りに大人がいるか、とか、自分の成長を信じられるか、とか。
子供の資質だけを信じて丸投げせざるを得ない火星に対し、人が関わっていくことで何が生まれるのか、というのがAGEの大きなテーマかなと思います。勿論、火星の方でも関わることで生まれるものがあるわけですが。

火星と地球、思いの違いは絶対量の違いではなくて(人自体に差はない、というのはAGEの大前提のように感じます)、ただ質が異なるのではないか。
人間が息づくから歴史ができている、という原則をよく踏まえている作品だと感じます。

さわK #- | URL
2013/03/16 04:27 | edit

水掛け論だとは思いますが

馬小屋が無いから馬小屋に入れないヴェイガンの機体の意匠があったから、最後までそういう場所や位置に帰することが出来なかった、と取ることも出来るような。

作中最もヒロイックな形をしていながら、結局英雄的な働きをできていなかったり、そもそもその様な形を取らざるをえなかった経緯を考えると長々趣ある機体だと思います。

イゼカンがもうすぐ死ぬという事態の中で、自信のあれだけの思想を託せる人物の求心力を、自信の持っていた物と同等にするだけの依り代としてのデザインや存在意義があったのかなと。

某国の三代目が散々ちらつかせてるあれみたいな意味合いもあるのかなぁと何となく思いました。

ひとん #- | URL
2013/03/30 00:38 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://chiqfudoki.blog.fc2.com/tb.php/245-bd9a7880
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

検索フォーム

最新記事

最新コメント

アクセスカウンター

オススメ

▲ Pagetop