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【感想】27回目の劇場版まどか☆マギカ【見所紹介】  

あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願い申し上げます。

3か月が文字通り飛びました。
現時点で地球上14の映画館(会場)でまどかマギカの映画を合計54回(前編後編各27回)見てきました。
今だとまだ、「世界で一番見ています!」が言い張れるかもしれません。

写真とかおいおい紹介していきます。PCまで壊れて色々溜まり気味です。
私の代わりに巴マミさんにレポートしてもらったのでこの辺とか動画参照。



とはいえ真面目に映画見たのは実はせいぜい15回程度で、かなり睡眠学習をしていた気がします。
名作は体に叩き込むことが大事。おかげでTV版の作画や音楽に拒否反応が出るようになりました。
さて、今回は久々に感想です。いや、やっぱめちゃめちゃ面白いですね。


てきとーに感想と見所を紹介していきます。長いです。読むの20分くらいかかるかも。


参考:劇場版まどかマギカ徹底解説(今日の記事の前提になっています)

 



旅行の関係で、私自身の巴マミへの感情移入がかなり強くなっていました。
また、「好きなキャラがいるのか?」なんてことも考えながら見ていました。

では、マミとはどんな人間なのか?
おっぱい?言うほど彼女の胸は強調されていません。魔法少女の時くらい。
ぼっち?とんでもない!「ただのぼっちではない」からこそ、マミは厄介な人間でもあります。
豆腐メンタルもしかり。
ただ動揺してるだけだったら、手や銃も狙えたまどかが、マミをわざわざ射殺する必要はありません。
ここで一度書いています。
また、「華麗」や「優雅」も当たっているけど、結果であって本質ではない。

マミの本質、それは「努力」「信念」「孤高」なのではないでしょうか?
というのが、彼女は自分が一人であることを自覚しているのに、戦いには(ともすれば無駄な)様式美が織り込まれているから。
ただ魔女を殺すだけだったら機械的に殺せば良いのです。
でも、マミはなぜか「他者から見て美しく見える」ように戦っています。
一人の彼女が、アレを誰に見せるのでしょうか?

自分の中でのかくあるべし、をあくまで守り抜いたのがマミなのではないでしょうか。時に大怪我をしてでも。
つまり、マミは元から強かったわけではなく、自分の中の「強くありたい」「かっこいい」のために頑張っていた人間。

だから、彼女にまどかの言葉が刺さります。
「なにもできなかった」「誰かの役に立ちたかった」というまどかの独白は、魔法少女になる前のマミにも当てはまります。
だからこそ、そのまどかに自分が「人を助けているかっこいい人間」に映るのは特別な意味を持ちます。
マミの中での、マミだけにしか見えなかったはずのヒーロー像が、まどかにも見えていたわけだから。

つまり、まどかはマミが何を大事にして、何のために戦ってきたのか、「(生きた)意味を解する」人間だったのです。

これはTDSでも描かれています。
マミの中でまどかとさやかの扱いが違う。さやかは、表面上の「強いマミ」しか見ていない。

この、マミの「今までの水面下の努力」を前提にすると、『未来』がかかる2回目(3回目)の変身シーンの涙度が増します。
1回目に比べ、マミがことさらに「のびのびと」「心が解放されるように」動くから。

―士は己を知る者のために死す―

という言葉が浮かびました。まどかマギカのテーマ、「You are not alone」は私の中でこの訳になります。
今回の視聴、この言葉が出発点になっています。

実際には、マミは「知られて死んだ」わけですが。
強引に解釈すると、生きた意味を見つけたから死んだ、ともいえる。



これはほむらと杏子にも当てはまります。さやかだけはやや別方向を向いています。


意味、で行くと、TV版時代から私が大好きだったシーンがあります。TV版の頃はここが一番好きでした。

madoka_03


関連して、杏子の教会の過去回想シーンも大好きです(一家自殺orzのくだり)


どっちも何気なく見過ごされる&違った意味で有名ですが、結末を知った上でまどかの存在を前提にすると意味が変わります。


まず最初の絵、ポイントはここです。

madoka_03b

この時点ではほむらは相当の不審者です。さやかもマミも警戒しています。
でも、まどかの中にはほむらの居場所がちゃんとある。ハイハッピーエンド確定、という感じでこのシーン大好きです。


劇場版全編を通じて、まどかがほむらを拒絶したのは、キュゥべえを射殺したほむらの前から逃げた一回だけです。
そのときにしても、ほむらをただ恐れる、ではなく、彼女の言葉を理解しようと一瞬で表情が切り替わってます。
そのほかのシーンのことごとくで、まどかの思考は事態について行っています。

だから、

まどか☆マギカ
=まどかがマギカ(魔法)の力の使いどころを見定めて、魔法少女の定義を書き換える話


でもある。


まーでも、まどかの前編の無双っぷりは小気味よいですね。
ただの人間なのに、魔法少女である四天王以上に活躍しています。前編はまどか単騎のアウェイ戦なので特に際立つ。
私服でさやかのピンチに「間に合う」シーンも大好きですが、ハコの魔女戦も、そのつもりで見るととても面白い。


仁美対まどかはどっちが強いんだろう?とか考えたことがあります。
どちらも「状況に流されず、事態を動かしに行けるノウハウを持ってそう」な人間だから。
今回見返すと、まどかの圧勝ですね。
ハコの魔女戦、さやかは事後処理をしただけで、仁美たちのピンチに間に合い、実際に助けたのはまどかです。
ていうか、まどかがいなかったらみんな死んでいます!

魔法少女5人、一見全員が対等に描かれていますが、これは主君と郎党の話だよなぁと、見ながら思ってました。
ほかの人たちは現場の兵卒として動いているけど、まどかは一貫してリーダーとして動いている。

なお、後編になると生き残った魔法少女たちがまどかの「意味」に気付き、まどかの騎士として戦うようになります。
そうなるとワンサイドゲームになるので、均衡を楽しむという意味では前編の方が面白い。


しかも前編、終わりがコレです。

08魔法少女と呼ぶべき


キュゥべえ、こんなことやってないでさっさとまどかを追撃するべきでした。
彼がまどかを契約させることができた、最初で最後のチャンスだったのに。


閑話休題。杏子の教会のシーン。
杏子の親父は何を教えていたんだろうね?という話です。
これTwitterで「親父pgr」とかいうオチになりかけたりもしました。
なお、このブログなので、杏子ちゃん聖女!とか、杏子かわいそう!とか単純に言う気もありません

というのが、杏子の父回想のくだり、まどかとの邂逅を前提にすると意味が変わります。以前書いた気もします。
杏子はさやかが「この力は無限の可能性を秘めているから人助けができる」旨の発言をしたとき、心なしか微笑んだような反応をしています。
のちに、さやかが魔法少女としての初心を思い出させてくれた、とも、まどかに言っています。

また、教会のシーンでは謎の光が挿入されています。
この光の使われ方は「魔法少女へのあこがれ」だったのではないか、と私は解釈しています。
※正確な情報があったら教えてほしいです。

杏子のさやかへの突っかかり方や、その後の行動を振り返ると、杏子の父は「困っている人を見捨てるな」とか「愛と勇気が大事だ」みたいなことを言っていたのではないでしょうか。
つまり、マミ・まどか・さやかが守ろうとした「正義」と、杏子の父の教えは親和性が高いと思われます。

もっとも、さやかは杏子のことを拒みました。杏子はそこで「汚れてしまった自分」を自覚する。
その挙句にさやかは自滅します。なんだよお前!なのですが、ここでまどかが登場します。
魔法少女のために泣ける人間。体を張って魔法少女を守ろうとする人間。彼女の前では杏子は汚れてなどいない。

杏子父が追い、敗れた思想。その道の先には、まどかがいました。

これを、杏子がどこまで自覚していたかはわかりません。
ただ、「魔法少女の仲間」を求めて誰かに近づこうとしていた杏子(「食うかい?」なんて典型ですよね)が、最後は自分が人を救う側に回っています。
また、オクタヴィア戦で「誰かを守る」「誰かに守ってもらう」「見守っていてもらう」「仲間を助ける」全部達成できています。
面白いのが、オクタヴィア戦でのほむらの行動を、杏子が「気配だけで察して」いること。

ほむらは杏子を助けようとして動きかけます。その動きは、杏子には見えていません。
しかも、杏子は「あいつはそういうタマじゃない」とも言っていました。

なのに、杏子は背後のほむらが自分を助けに動いた気配を理解して、制しました。
つまり、2回目のオクタヴィア戦時には杏子とほむらの本当の意味での共闘が成立しているのです。まどかを介して。

「まどかを介して。」
これも、言ってしまってよいと思います。
というのが、「てめえそれでも人間か!」のくだり。アレ、杏子も似たようなことをさやかに言っていましたよね?
なぜほむらがまどかにアレをやったのか、ほむらの行動原理を杏子が理解した。
だから「足手まといは連れて戦わない主義だろ?」というセリフになる。


ほむらとまどかの関わりについては、過去記事で散々書いています。
ポイントはただ一つ。「ほむらの言葉は必ずまどかに届く」。
むしろ届きすぎているのが問題で、マミの死後まどかの背中を押してしまったのはほむらです。
ほむらが余計なことを言わなければ、「魔法少女を見届ける」というまどかの選択が少しだけ変わったかもしれません。

ほむらにしても、あのクールさの裏側にあるものを考えると相当微笑ましいですが。
マミに攻撃された時には目をつぶっていますし、ときにビビりながら相当無理してあの雰囲気を作っているのではないでしょうか。
また、対ワルプルギス戦、ほむらは見事に「本体以外の」「攻撃しても意味のない」場所を狙っています。




さやかだけはちょっと別物で、オクタヴィアはさやかの意識残ってたんじゃない?ともちょっと思います。
いや、さやか、散々ですよね。影の魔女戦とか毎回泣けてきます。別の意味で。
だって「壊れた」時の戦いが一番動きがいいんだもん。
戦い方を完成させて奥義に開眼したのに、みんなに糞味噌言われる。作品が違えば覚醒回ですよアレ。

魔女になった後も、ヤケになって不貞寝して好きな音楽を聴いていたら、よりにもよって一番来てほしくない連中が見当違いのことを言いながら快眠の邪魔をする。

うん、そりゃ叩き出すよね。

「アタシは二度寝したいのよ!」って。


戦闘センスと戦士としての伸び代は、まどか四天王の中でさやかが一番だったんじゃないかなーと思ってます。
さやか、といえば、彼女は「晴れて」魔法少女になった、と言っているのに、まどかはそれを「間違っている」と断じていますね。
このギャップも、マミの「傍にいてほしかった一人」がまどかでなければいけなかった、傍証の一つだと思います。



じゃあほむらは?というと、彼女は魔法少女の戦い方に革命を起こしました。
「武器の攻撃力まで魔力に頼る必要はない」という革命です。
文明の利器を最大限に利用し、火力を他から借りてくるという発想。
これで、魔法少女は相当ラクができます。
これは彼女の「武器の携帯」ができるという魔法特性によっているわけですが。

※その意味でも、従来式の魔法少女の戦い方を戦闘センス方面で極めたさやかと好対照になっています。


また、劇中の運用でみていると、まどかにとってほむらは「魔法少女として」一番心を許せる友だったように思います。
ただ、まどかは魔法少女たちの中ではリーダーとしての視点で動いているから、そこに役割分担(主従関係ではない)の形跡はあるようにも思う。
ほむらが側近とか秘書とか家宰(≒執事)のイメージ。

逆に、まどかの郎党衆のなかで一番周囲に気が配れるのが杏子です。
なんせ、背後のほむらの挙動と心理を正確に察してますから。いや、ヒントはあったけど。

ヒント、といえば、影の魔女戦のほむらもありましたね。
あのとき、ほむらは杏子の突入前にはいたのに、そのあとにはもう姿が見えない。
しかも、杏子は変身していないのに、ほむらは魔法少女姿。

よく考えると変です。オマエ何しに来たの?という。

ここで、さやかの死体に対しての「てめえそれでも人間か?」がつながります。
だから、杏子が死ぬ前、オクタヴィア戦の時に、ああ、コイツはまどかを守りに来たんだね、という理解になる。
まどかがどんなヤツなのかは、半日接して杏子もよく理解していた模様。とても温かい目で見てますよね。
だから、私は杏子は「あんさや」よりも「まど杏」であり「杏ほむ」だと思っています。


残るのはマミ。ていうか本当は消去法で杏子が最後だったんですが。
マミは早々に消えますが、存在感はとてつもなく大きい。というか物語全体を規定しています。
というのが、キュゥべえの言うことを鵜呑みにすれば、「マミみたいなタイプは珍しい」はずだったから。
なのに、劇中のメイン魔法少女は全員、マミ式の正義感を踏襲しています。
さやかと杏子の対決にしても、お互いマミの名前を出すことで相手への怒りのレベルが一段上がっています。

こうなると、キュゥべえが何見てたのという話ですが。。。これも後述します。



ところで、魔法少女はみんな指輪を左手の中指につけてます。これ、なんで左の中指なのか?
Twitterで左の中指でおお!となる説明を見た覚えがあったのですが、調べてみたらイマイチ。

直観力を強めたり、人とのつながりを強めたり、という意味だそうです。
ほかの指でもよいのかな、とは少し思います。
こういうのをわざわざ調べる、は、マミならやるかなー、とは思います。
ただ、マミなだけに戦闘時の利便性も考えているはず。そうすると人差し指か中指になるのかな、と思います。

で、コレ、なんでみんな同じなのか?
ほかの3人はともかく(まどかとさやか→マミの見よう見真似ないしは直伝、ほむら→マミかまどかの影響)、杏子も同じ指につけている。
となると、最初にマミが杏子にした説明に一定の説得力があったのかな、とも思います。


じゃあ、そのマミの正義感はどうやってできたのか?
これは先天性ではなく、マミが一人ぼっちの中で努力して作り上げた魔法少女ブランドに他ならない。
そうすると、マミは尖兵なり先駆者なり、まー評価してもしきれなくなります。


で、まどかが凄いのは、目に見えるものだけではなく、こうした裏に隠れた「一人ぼっちの戦い」の声なき声もちゃんと聞き分けていること。
これも、注意してみると劇中にちゃんと描写があります。
前半が特にアウェイ単騎戦なので、まどかに注目すると面白いです。
※後編は赤黒ふたりがまどかを神輿として扱いだすので、趣きが変わります。


ところで、さやかはちょっと変則的です。
この人はまどかと付き合いが長く、まどかに知られる他に上条君が出てきます。

じゃあ、さやかは何をぶつけているか?
これは「私のためって何?私の幸せって何?アンタが代わりに戦いなさいよ」かなと思います。
まどかが作った円環世界にしても、最後にさやかに見せた光景にしても、この問いに全身全霊で答えている。

面白いのが、ここでのキュゥべえの関わり(ところで彼の名前の由来は「うっかり八兵衛」とかなんでしょうかね?)。

射殺される直前のキュゥべえとまどかのやり取りの空気、アリストテレスとアレクサンダー師弟の問答みたいで私は大好きです。
キュゥべえは敵手っぽいんですが、物語全般で、まどかが神として世界に臨むための師として絶妙に機能しています。

いや、本当はまどかとキュゥべえのやり取りっておかしいんですよ。
キュゥべえがその場にいなかったときの情報を前提にして、更に踏み込んだ高度な会話をしてたりするから。
家宰ほむらと師キュゥべえ、二人がかりで王まどかを育てていっている観がある。

二人で、魔法少女システムの欠陥、さやか問題の解決法、まどかが何をしたらよいのか、図らずも全部教えています。
で、実地で手助けをしたのが杏子、一番最初にきっかけを与えたのがマミ、という構図。


このキュゥべえにしても、これも再三言ってるけど、彼は人類あんまり見てないんじゃないかな?と思う。
まどかの振る舞いは人の上に立つ人間としては妥当だし、だから他の4人とは分けて考えるべきなんだけど、キュゥべえにはそこが全く見えていない。
じゃあ、あなた何を見ていたの?という話になります。
卑弥呼とかクレオパトラにしても、インキュベーター一族の他の者の功績を伝え聞いていただけではないのか?

そういえば、彼の営業のテーマ、劇場版では出番が減りまくってます。
「キュゥべえの脅威」とか「ほむらの水際戦闘」はそれぞれ違うBGMに全部差し替えられましたし、肝心のまどか契約時はさやかのBGMになっているし。
劇場版とTV版、かなり趣の異なるものになっています。

※ほむらの水際戦闘=前編では、ほむらが世界線に干渉する動きをするときに大体新規BGMがかかっています。
だから、ほむらの動きだけに注目していくと新BGMがかなり多くなります。杏子のお菓子のようなものです。

最後に仁美。
今回見ていると、なぜだか知りませんが、まどかの日常の光景を見るとたまらない安心感を覚えました。
どーにも、魔法少女連中の世界が禍々しいものに見える。
いや連中が自己卑下しているから、というのもあるんですが。

まどかマギカの物語で日常を象徴するものは家庭と学校ですが、劇場版になると大幅に削られます。
そもそも、魔法少女連中で現在時点での家族とのやりとりが出てくるのはまどかだけです。
マトモに家族と触れ合っていたら魔法少女になっていないでしょうし。
で、まどか母は「魔法少女じゃない形での」変身したカッコイイ女のお手本を物語冒頭で見せています。
最後の避難所のやり取りを見ていると、女が家族を守るのが当たり前っぽいし、鹿目は女棟梁の家だったりしたのかな、と思います。


育ちの違い、でいくと、仁美は魔法少女連中とは別の社会階層です。正確には仁美と上条恭介の二人は。
階級の違いはさやかも劇中で「小市民」と明言している。
これが問題への向き合い方に出てくる。「本当の気持ちと向き合えますか」のシーン。
仁美は姿勢も目線も揺るがない。「叶えたい未来があった、たとえ、自分を騙してでも」と好対照です。
考えてみれば当然で、仁美たちの階級は「叶えたい未来があった、よし、自力で叶えよう」が余裕だから。
なお、姿勢が崩れない、という意味では、過去のほむらが一番最初に出会ったまどかも、背筋が伸びたまま崩れません。

ならば、まどか対仁美はどうなるか?社会階層的には仁美の方が上ですが。。。
これも前述の通り。
より掘り下げると、仁美の受けている教育って「良妻賢母」のための教育で、つまり男を支える側。
まどかの場合は、自分がリーダーになって、みんなを守って社会の役に立つという教育。
似てるかもしれないけど、非なるものです。太陽と月の関係です。まどかが太陽。


だから魔女の口づけもされないし、結界にも平気で踏み込める。
まどかマギカって、まどかという宿命の子が王として覚醒するまでの国取りの物語でもある(創世神話でもあるんだけど、王の覚醒という方が私はしっくりくる)

そのまどかが一の郎党として見込んだのがほむらで、まどかが見守る世界を実地で守る人間として機能していく。
マミはマミで、まーこのヒト物知りですよね。夢のお告げでも受けているのでしょうか?
改変前はキュゥべえに色々教わったのでしょうが。
メタネタ知ってるし、ある意味巫女みたいなモンなんじゃないかな?とも思います。


ポイントはさやか。
この人はまどかの日常にもともといた人間です(赤黄紫の三人は1か月ほどの知り合いに過ぎません)。
まどマギでは日常の描写がほとんど描かれませんでした。作り手がそういうの得意なのかもよくわかりません。

新編だとさやかと仁美も絡んでくるわけで、「階級」「日常」が反映されてくると面白いなあ、と思います。
上記のように、劇場版27回見た限りでは矛盾なく、非常に面白かったので。
(マミの家のケーキ皿が安っぽい、という指摘には納得)


そうそう、「システムに反抗するもの」への粛清用の札として、キュゥべえはさやかを囲い込むべきだったと、今でも思います。
成長率、まどかとの友情、能力相性、洗脳のしやすさ、いずれもまどか&ほむらの造反の火消しとして非常に好ましい。


劇場版まどかマギカは今後しばらく国内での視聴が可能です。関東だと新宿で1月25日までやっている、とのこと。
また見てみると面白いかも。


参考:劇場版まどかマギカ徹底解説(今日の記事の前提になっています)

 
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コメント

仁美についてですが、仁美はそこまで人として強い人間ではないという解釈の方が多いように感じます。
まどかは言うまでもなくまわりに流されず強い心を持っています。
が、仁美はまどかに匹敵するほど強い心を持っているようには見えません。
理由は仁美がハコの魔女にキスされるということは心が弱い証拠だとよく某所では考察がありました。
またまどかポータブルでもほむらからさやかに告白の期限を設けたのは期限を設けることで自分が優位に立とうとしたズルさを指摘されています。
そしておりこマギカではむしろさやかよりも魔女に対して狼狽しており発狂寸前をさやかに助けられるという弱さを見せています。
彼女がQBから選ばれなかったのは財力のために最初から望むものは持っているということから選ばれなかったのだろうとまどかがほのめかすシーンがゲームにあります。
仁美がまどかに匹敵する強さを持っているというのには違和感があります。彼女は中学生相応の心の持ち主といったところでないでしょうか。
仁美が別に嫌いというわけでは無く、仁美はまどマギにおける日常で普通の人の象徴なのではないでしょうか。
おりこにおける彼女の描写がまさしく普通の人なら狼狽して何もできないのが普通だったり、魔女にキスされて危うく殺されそうになったりという一般の役割なのではないかと思います。

名無しさん #- | URL
2013/02/02 23:42 | edit

>>名無し様
コメントありがとうございます。
確かに仁美は所属する社会階層が違うように見えますが、ご指摘ごもっともと思います。今日見返しても「うまく自分のフィールドに引きずり込んで喧嘩をしているなぁ」と思いますし。。。

ほむらが言う「違う自分になりたい動機」も、キュゥべえが言う「二つ返事で契約するような願い」もないです。

もうひとつ、キュゥべえに勧誘されなかった理由で考えられそうなのが「魔女にするうまみがないから」。希望がないと絶望もないわけで。。。

叛逆ではナイトメアの担い手になると思しき彼女。どうなるかが楽しみですね。

さわK #- | URL
2013/06/21 19:46 | edit

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