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ヱヴァンゲリオン破 レビュー Ver2009 にかいめ  

※当時のやつそのまんまいきます。

破レビュー にかいめのまえに (2009年07月02日08:20)

ガチで作られたモノはこっちもガチで見ましょうよ、ってことで。
本気でアタマ使って丸裸に剥きにかかりました。しょっぱなから臨戦態勢ATフィールドバリバリ。
夜9時の上映枠だと「ざわ ざわ・・・」が大きいです。うん、少し黙れよおまいら。

ダチと見たんだけど、なんつーか。
予想外に疲れました。
そのくらい頭使ったし使い甲斐がある作品です。

なんつーか、「わかりやすく」「興味を引くように」見せるって意味で第一級ってか冠絶してますね、この作品。
だから俺らの業界にも通じるし、プレゼンテーションとかコミュニケーションにも通じるし、物を作って伝える人は必見だとも思う。
なんだろ、たとえば俺だと、コレを「所詮アニメって馬鹿にする人」とは親交を絶っても良いと思ったりもするわけです。
好き嫌い以前に「ホンモノ」とか「いいもの」を見分けるアンテナって大事だと思うんですよ。

でもって、この作品、この時代の日本人の生活を後世に伝える資料としても素晴らしい。
箱根とか御殿場あたりと組んで第三新東京市のタイアップ企画も普通に出来るんじゃないかね。
あ、UCCは出すぎだけど(笑)
エンドロールの協賛企業とか見てるだけでも飽きないです。


新劇場版ってなんだろね、っていうと。
碇シンジとその周り、っていうTV版と同じ要素をもった「閉じた世界」が、ほんの僅かの「ずれ」の結果、全く違う様相を見せていく過程を描いた作品なんだと思います。

外の「開かれた世界」とか、その世界の歴史は違うわけです。
出てくるキャラの性格やバックグラウンドは同じ。 ※2012年注。式波アスカは惣流アスカと別人として演じられています。
「閉じた世界」に起きるイベントも、細部の流れまでほぼ同じ。

ただ、シンジはTV版よりやや繊細で気が回る。
で、マリという「粘り強さ」をもったキャラが新要素で加わる。
「ずれ」はこの2点に集約される。
その結果、キャラの絆が変わる。キャラの成長が変わる。
だから閉じた世界が変わって、開かれた世界も変わっていく。

で、その「なにがどこでどうちがうからナニがドコでドウ変わったか」っていう少しずつの変化の説明が、物凄く丹念でわかりやすい。読者が理解の一足飛びを強制されないで、用意された階段を順繰りに上っていく感じかな。

元になった変化そのものも、変化の見せ方もすんなり納得がいく。
しかも、その描写過程に無駄がなく速すぎず、視聴者の心に畳み掛けてくる。
視聴者の疑問符の全部に答えてくれるような、つくりの誠実さがある。だから、ほとんど全てのシーンが濃密に焼きつく。
てかどのシーンも記号の強烈な集合体でもあるし。

概括するとこんな感じですかね。


今回の「破」は「アスカ来日」から「男の戦い」までなんだけど、上述の要素によって「序」でほんの少し生じた「歴史のズレ」がより大きくなり、「男の戦い」で決定的になる。
だから厳密には「序」を見ないと全貌わからないんだけど、「破」で生じた変化だけでも「なんでそうなったのか」は大体説明がつくという構成。

なんつーか

これでもかってくらいブレインストームして極限まで絞り込むとああなるんでしょうね。
「絶域」とかいうものがあるとすればそういう領域です。
合格点が出るレベルから気が遠くなるくらいアイデア出し合って改善してないとあんなものは出来ないと思う。
人生初めて「十五分」って言葉を使ったけどそんな感じ。もっとかも。


本当に才能がある人同士がチームを組んで、与えられた能力を全く妥協せずに放出しきったらああいうものになるのでしょう。コレ見ちゃった後だと「他の全て」が色褪せたのには驚いた。


(2012年の注。今の私はまどマギ劇場版とガンダムAGEを知っています。そういう問題。)


いや、目利きを育てたいなら一流のものにだけ触れさせろって言うじゃん?まさにアレ。


*********************************************


こりずに三回目。
まぁ映画館でメモを取るというバリッバリ変態行為をやってたからねぇ。
A4で15枚くらいはたまりました。いや、音立てないようにはしてたけどね。
あ、こんなことは連れ合いがいるときはやりません。



以下に男爵ディーノってジャンプ感想サイトのレビューを引用してみます。
「サイシューの職人魂もそうだけど、彼らはマーケットに合わせようとしすぎなんだよな。少年漫画で文学的な語りがあってもいいじゃない。ブリーチなんて訳の分からないオサレポエムが入ってるんだぜ? 読者に迎合する必要はなくて、ただ、読者に有無を言わせぬクオリティを示せばいいと思うんだけどねー。」

クリエーターは問答無用の品質で語ればいい。そう思います。





てことで順番に雑感。とりとめなく長いので注意。










いきなりOPなしでマリ顔見せバトル。ココで問答無用で引き込まれる。
んで、事前カットでマリが見せてた服装&五号機が出てくる。

暗い場所での戦闘なんだけど、その辺を「どう見せるか」でまず工夫が光る。
カッコよく見せつつ、違和感のない演出でぶつけてくる。
ついでにこの段階でマリの性格、戦い方、あのプラグスーツの理由、視聴者が思ったであろうデザインの違いなんかも全部説明される。

マリの戦いがアバンなんだけど、ラストの加持とのセリフの対比も効いています。
加持が言うのが、従来この物語全編に通じていた「大人のエゴに子供を巻き込む」って問題。
それに対して、「明確に別の目的を持って生きている子供」としてマリが紹介される。
従来パイロットの少年少女はエヴァにアイデンティティを依存している人たちばかりだったわけで、「マリはちがうんだぞ!こう違うんだぞ!」っていう紹介がこの段階でなされてるわけです。

なもんで、このマリというのが丸々、劇場版の新しい要素になる。
「現状に対してしたたかに粘り強く生きる人間」の登場なわけです。

で、本編始まってすぐにアスカ&弐号機の顔見せバトル。
ここで「肉を切らせて骨を断つ」のマリと、「圧倒的な才能で押し切る」のアスカの対比ってのがあって、「男の戦い」のときの弐号機の戦いぶり&シンジの決意の過程が変わってくることになる。

なお、マリとアスカはどちらも所属がEU&ロシアってことになって、少女キャラに共通する巡洋艦名前ってのと、EUロシア所属に共通する空母名前ってのが一つの符牒になる。友人いわく「マリがアスカの代わり」なわけだけど、「対にもなりうる」ような感じの顔見せって最初の10分くらいで終わってるんだよね。

でもって、このシーンの背景の描きこみも注目。
護衛艦のやられ方とか、ミサトが車飛ばしているときの背景に走っている軍用車とか。ホント隙がない画を作ってきます。



これに、「序」から連綿と続く「成長」とか「交流」の要素が組み合わさって、TV版と比べると「人の絆」「人の思い」が生み出す「人の粘り」がよりクローズアップされたように思う。その辺の伏線っつか積み重ねが前半あって、最後の「男の戦い」で一気に出る感じ。

劇場版とTV版のつながりどーなの?ってのは大きなテーマなんだけど、今の所はパラレルワールドといった位置づけでしょうか。説明の誠実さ入念さから言って、このあたりは間違いなくきっちり「補完」されてくる。恐らくはとんでもない高次元で。高次元を支えるものってナニよ?って言ったら、同じ時間でどれだけ頭を回したか、その手間隙の手数なんじゃないかな。

閑話休題。
TV版を見てた人だと、パラレルな部分は間違いなく楽しめると思う。うまーーーーくオマージュされてます。「男の戦い」なんてイベントの順序もカメラアングルも戦い方も同じパターン踏襲だしねぇ。だからこそ、「誰が乗っているか」「どういう心境で行動しているか」で結果が大きく変わってくるところが楽しめる。

弐号機なんて、パイロット変わってもアングルも最初の戦術も同じなんだよね。ただ、挫折に弱い&エヴァがアイデンティティのよりどころなアスカと、粘りが身上でエヴァを利用できる(冒頭の「ご苦労さんエヴァ五号機」なんてセリフはまさにその象徴なわけだけど)マリとではその過程も対応も大きく違ってくるわけです。

そのために「奇跡の価値は」が伏線になっている。
TV版の「男の戦い」はEVA各機が各個撃破されてるわけだけど、今回みなさんチームとして非常に息が合っている。

ついでに、マリっていう四人目の存在のおかげで「どうしてエヴァに乗るのか」「自分のため」「認めて欲しいから」みたいなテーマがより深く味のあるものになっている。シンジがどう成長していくか、どう人と絡んでいくかって形で出てくるんだけど、象徴的なのが「ほぼ同じシチュエーション」だけど大活躍した弐号機であり、「行きなさい!」と叫んだミサトであり、最後に手を伸ばしたシンジであるわけで。じゃあキャラが別人かっていうとそんなこともない、ってのも描かれている。アスカがゲーム好き、とかニヤリと来る設定だしねぇ。


マリと言えば、「匂い」も欠かせない要素。シンジからLCLを嗅ぎ取り、アスカのLCLの匂いも解する。
その匂い、といえば、シンジが初号機で母さん&綾波の匂いがする、とも言っているわけで。
その匂いって何?っていうと、潮風だったり土だったり空だったり、或いは人の息づく町だったり、そういうガジェットも本作でさりげなく挿入されている。

だからシンジの行動はこの先も変わってくると思うんだよな。シンジが料理がうまいなんてまさに「機微がわかる」ことの象徴だし。結局、TV版より無機的になった「外の世界」と、その分「いのち」に対して鋭敏になっているシンジの描写ってのがさりげなく、でも結構な数積み重ねられていっています。これはこの後も効いてくると思う。


そのシンジが料理(口から触れるもの)とエヴァ(中に浸るもの)を媒介に人を巻き込み、その結果周囲も変わっていく感じ。
で、これは友人の指摘なんだけど、この世界のキャラって手を触れないんだよね。肉体接触がない。
だから手を合わせたキャラが凄く大きな意味を持つのだそうだ。
「誰と誰が」「どういう過程で」手を重ねるか、ってのはポイントだよね。


ちなみにレイの「ありがとう」はマリに言う前にシンジに対して、自問で、アスカに対してって都合3回言ってるので、マリを逃がしたあの行動もしっくりくる。3回目のしっくりぶりが気になってたから見てみたんだけど、ちゃんと蓄積あるのネと納得。

レイといえば、ラストのかけあい。
レイが「私は代わりがいる」をシンジが言下に否定したのがとても印象的だった。
これ、TV版のシンジだったら圧倒されるだけで出来なかったと思うのね。
何でかなーって思って二回目で見たら、水族館のシーンであの表現がシンジの心に深く刻まれていた描写があって、それ以降シンジはレイに積極的にやさしくしようと努めている。レイにもソレが伝わって(だから他の人らに波及するわけだけど)、試行錯誤と応酬の積み重ねがあったからあのセリフにつながるんだなと納得。


そのとき、「シンジが料理ができる」ことが大きなポイントになる。
これは結構見過ごせない点で、料理ができて気が配れることでシンジの周りに良好なコミュニケーションが生まれているし、TV版だと女性陣に翻弄されるだけだったシンジが、女性陣に頼られる存在になっている理由にもなっている。んで、「同じ釜の飯を食えば」ってミサトがちゃんと言ってるんだよね、最初に。

ホント痒いところまで手が届きまくってます。




*********************************************


いや疲れましたorz
そんだけアタマ使わされた気がする。





ところで、俺的にこの作品の感想を一言で紹介するなら「ビンタの音」になります。
アスカとレイがベーターで乗り合わせて気まずい沈黙が流れるシーン。
TV版だとアスカがレイを一方的に罵り、レイが「私は人形じゃない」と言ったのにキレてアスカがレイをひっぱたく。
似たような流れになりつつ、レイがアスカに諭すような言葉をかける。んで「人形」のセリフが出てアスカがレイをぶったたきに行くわけですが。

今回は、レイがその手を止める。
で、その手を見てアスカがハッとなる描写。ここでも伏線が効いてて、レイはアスカが料理していることは知らないけど、アスカはレイの意図を知っているって描写がちゃんとある。んだからTV版だと気持ちが一方通行なんだけど、アスカとレイってここで「通い合ってる」んだよね。だから、留守録の「ありがとう」のときにアスカの表情が一瞬とても柔らかくなる。この一瞬の表情変化とか目線の動きはホントよくできてる。ゲンドウも「とうさん!」でハッとなってるし。


目配りと言えばミサト。
アスカとかシンジとか、すんげー「扱いにくい子」なんだけど、ミサトって彼らに対して嫌な顔、っていうか拒絶を一度もしていないんだよね。あの世界の連中って「コミュニケーションがへたくそ」なだけで、嫌な連中としては描かれていない。この辺の見せ方も明確な意図があるし、コミュニケーションの成立によって世界が変わっていくことの補強にもなっているように思う(このへん新訳Zに通ずるものがある)。

見せ方と言えば3号機VS初号機のとき、シンジが戦っている間は常に視界のどこかにエントリープラグの青が見えているのな。だからこそ使徒の粘液の色が目立つ青に変更されたのだろうけど。


前述したように生活描写も深くて、通勤風景やらジョギングしている人やら頻繁に出てくる。で、生活の中に必ず軍用車も一緒に出てくるのね。作り手はあの世界の人口とか産業とか、うちのゼミの卒論になる程度には設定しているはず。その程度にはもう当たり前のように作りこまれてます。だから、その世界の説明にしても違和感がなくて、マリの性格説明と一緒だったり、水族館のシーンにうまく溶け込ませたり、「男の戦い」のクライマックスに乗せたり、まーホント無駄がないしくどさもない。てかあの水族館とか良く思いついたよねアレ。きっとワクワクしながらみんなでアイデア出し合って作ったんだろうねぇああいうの。

アスカとシンジにしても、アスカが「だめ」ってなったときにシンジが「こっちで何とかする」って応えてて実際に行動している。で、アスカのことを名前で呼んでいる。「奇跡の価値は」のときってちゃんとみんながみんなお互いをチームとして信頼して動いているわけで、アスカも素直になれなかったってだけで、チームメイトに悪感情を抱く要素はなかったように思います。
この展開が後の伏線になってるし、同時にシンジが「何とかする」を言えたのは序があったからに他ならないわけで。あと、ミサトとシンジってシンジが主でミサトが援護するって分担が明確なのな。破だともう「練達」の域に達してるんだけど、どこでそうなったかは序を見返す価値があると思う。

まぁ今回の象徴は「粘り」と「最後の一押し」なんだろうと思います。
「ヒトじゃなくなる」ってわかってても特攻して突っ込んでくなんて発想、TV版の連中じゃなかったろうしねぇ。
今回そういう行動をとった人間が3人いたわけだけど、皆さんその行動をとってもおかしくないだけの説明はきちんとなされていた。





なもんで、TV版との違いを考えると、シンジが(料理がおいしくできるくらいに)TV版より繊細で、だから人の機微がわかって、そこにマリという「粘りを持った人間」が絡んでくるのが変化要因なのかなと。

世界の勢力図とか「史実」もやや異なるみたいだけど。主人公周りの配置はシンジとマリくらいなんじゃないかな。そのほんのわずかの違いが積み重なって、「男の戦い」以降が変わってくる。序+破でその流れがあって、でも破単品としても十二分に説明がなされている。といったところ。それを補完するための学校描写、日常描写、そこに出てくる背景の描きこみ見て回るだけでも一周いけます。








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