Blinking Shadow ホーム » スポンサー広告 » まどかマギカ »劇場版まどかマギカ徹底解説

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

劇場版まどかマギカ徹底解説  

こんにちは、LAからです。
映画はこんな場所でやってます。リトルトーキョーの近くです。
通りを一本ずれるとホームレスごろごろの場末でございます。


LA_Madoka


てことで、
劇場版まどかマギカ、私なりの注目点を文章にしてみました。
私がいいなと思ってるポイントは大体こんな感じ。「もう知ってるよ!」ばかりかもしれません。

ようやく手に入れたフィルムブックの解説の出来がかなり不満なので、思ったこと大体書いてみました。
※ただし、フィルムブック片手にこの記事を見返して本編を見ると、意味が通りやすくなるはずです。

劇場版、ホントよくできてます。見返すほどに味が増します。

俺なんかが「解説」とか言っちゃうのもどうかと思いますが・・・
あと長いです。1万文字あるので読むのに30分弱かかるかもです。

以前の記事を「まどマギ好き必見」と紹介していただいたので、二匹目のドジョウを狙ってみました。てへぺろ。
長いけど損はさせないと思う。俺が9回(※)見て心に残ったモノをまとめてます。

※2012年10月25日時点。2012年11月8日時点で11回。

2012年11月8日02時30分 光の意味がわかったので追記
2012年11月9日04時30分 「杏子と救済」と「弱虫とうそつき」について追記 

※コメントまだ返してなくてごめんなさい

 




劇場版まどマギ エッセンス


TV版では、まどかがどんな運命に巻き込まれていくのか?という側面が強かった。
視聴者がまどかと一緒にハラハラドキドキしていた。
対する劇場版では、「まどかが主体的に世界を解き明かしていく」という側面が強い。
※冒頭の夢オチがなくなり、ほむらの素性とまどかとの関連が後編まで判明しないため。

偏見を取り払い、頭と根性で真相にたどり着くまどかの姿勢に、私は強く惹かれた。
「鹿目まどかの戦い」を軸に物語を見ていくと、ポイントがだいぶまとまった。


では、まどかは何をしたのか?
順を追って見ていく。



<まどかと魔法少女>
まどかはそもそも、自分が生きている世界を肯定している人間だ。

「自分は何も取り柄がない」と思っているが、彼女の場合はそれが「人の役に立ちたい」という方向に作用する。
なお、ほむらも同様のコンプレックスを持っているが、「自分が恥をかく」という方向に捉えている。

両者の違いは何か。
まどかは「受け止めてくれる誰か(帰る場所になる誰か)」に「守られて望まれて」いれば、どんなところでも自信を持って生きていけることを知っているのだ。
だから、ラストでそれを他の「一人ぼっちの魔法少女たち」に還元する。
つまり、まどかは個が確立されているのだ。

これはまた、自分以外の何かにすがり、希望を求めなくてもよいことを意味する。
背景は家庭環境の充実であろう。まどか以外は「しあわせ家族」に囲まれている描写がない。

「役に立つ何かになりたい」と思っていたまどかにとって、人々を守って戦い、人々の傷ついた心を癒す魔法少女マミが理想そのものに映る。
このマミは他の魔法少女全員にとって「かっこいい魔法少女」像として映っているが、各人の状況によって受け取られ方が異なっている(たとえば、さやかにとっては「正義の戦士マミ」の印象が強く、「介助者マミ」にはあまり目を向けていなかったようだ)。

余談だが、まどかのマミへのアプローチには父のアドバイスが大きく作用している。
これは「頑張ることそのものが目標であってもいい」というもので、劇場版ではカットされている(TV版の3話)。
「頑張ることそのもの」のお手本は母だ。劇場版の冒頭で、まどかの母の寝起きから出勤までが描かれている。
物語の最初に、まどかにとっての「魔法少女マミでない方のお手本」が提示されているのだ。

さて、まどかは魔法少女の生き方そのものに憧れ、魔法少女化を望む。
しかし、ここでマミがまどかにとっては思わぬ告白をする。「ひとりぼっちだった」と。

一方、さやかはこのタイミングで「キュゥべえと一緒に魔女を見張る」ことを選択している。
場所が恭介のいる病院だからだ。

病院の戦場で、さやかとまどかの分岐が対照的に描かれている。
さやかは「恭介との関係の中での自分と、魔法少女というもの」を意識する。
まどかは「魔法少女達の孤独を見た者としての自分」を意識するようになる。


マミの死の前後の一連の出来事は、まどかに大きな衝撃をもたらす。
「魔法少女は希望にあふれる仕事ではなく、悲惨な死に方をする」ということと、魔法少女の孤独を知ったからだ。
ここからまどかは、魔法少女システムのみならず、魔法少女になった少女そのものに目を向けていくことになる。


また、ここから、まどかの魔法少女観は「ひどい・・・!」というものになる。
この、まどかの「ひどい」という問題意識の変質(進化)が物語の鍵になる。
彼女は「ひどい!」と感じたときに必ず対策をする人間だ。
「ひどい」と思ったときに「まどかが何をしたか」も、追いかけていくと面白い。

最初の「ひどい」は、みんなのために戦っていたのに悲惨な死に方をすることが「ひどい」、であった。
次に「一人ぼっちだったのに誰にも知られないまま死んでいく」ことが「ひどい」、となる。
結果、一度魔法少女と関わりを絶ったかに見えたまどかは、再び魔法少女(さやか)と行動を共にするようになる。
皮肉にも、ほむらが背中を押してしまっているのだ。

更に、魔法少女同士の激突を見たことで、「仲間同士で戦う」のが「ひどい」、となった。
そしてソウルジェムの秘密を知ったことで、「願ったのに犠牲が大きすぎる」ことが「ひどい」、となる。

魔女の秘密を知り、まどかの「ひどい」は次の局面を迎える。
「信じていたのに手ひどく裏切られる」ことが「ひどい」に加わるのだ。

ならば、魔法少女になってしまった者を元に戻すにはどうしたら良いのか?
体を張って呼びかけてみたり、倒してみたりしても何も改善がされないままさやかと杏子が横死する。
ただ魔法少女になるだけでは魔女になってしまう。

まどかはキュゥべえをなじるが、「奇跡を起こすことは無理を押し通すことだから、当然対価が必要だしみんな納得している。それが歴史を作ってきた」とのこと。
インキュベーターの存在をなかったことにするか?これは文明が退行してしまう。無理っぽい。
※まどかはこの点も確認している。
ほむらも、このあたりのことを裏付ける発言をまどかに行っている。

最終的にまどかに答えを与えたのは、ほむらとキュゥべえだ。
ほむらは、まどか同様の試みを何度も何度も繰り返していた。
さやかや杏子と行動をともにしたことで、まどかの理解がほむらに追いつく。
ほむらの告白が、ほむらと出会って以来まどかが抱き続けた数々の疑問に、答えを与えることになる。
※ほむらの告白を受けた時のまどかの「それって・・・」からの「えぇ・・・」までの速さと表情の変化に注目。
 この段階で直感的な理解をしたと思われる。
 なお、まどか契約時の台詞より、まどかがほむらの事情(言外の思いも含め)をほぼ完全に理解していることがわかる。


そして、キュゥべえの説明が決定打になる。
システムの問題に挑む形で戦い続けたほむらと、システム管理側のキュゥべえ。
双方の話を総合し、自分の手札を確認したことで、まどかは問題の真因を見出す。

さやかを元に戻すことは、本人の自発的に願いの、つまりさやかの否定になるし、願ったまどかも魔女になってしまう。
そもそも、魔法少女たち自体が叶えたい望みがあったから魔法少女になっている。願いの肩代わりも不可能そうだ。

ならば、何が許せないのか?
希望が裏切られ、歪みをもたらすシステムか?
魔法少女同士が争う悲劇か?
こんなシステムをもたらしたインキュベーターか?

否、
「希望を抱くこと(希望を抱いた自分)じたいが否定されること」が許せないのだ。


だから、最後にまどかの願いがあの形になる。



<まどかと母>
まどかと家族がらみのシーンは全般に削られ、重要なポイントだけ出されている。
「大人になること」と「魔法少女になること」の関係だ。

物語冒頭で、母は「カッコイイ大人の女」に変身してみせる。
まどかは他の魔法少女達と違い、「お手本としての大人」を知っている人間だ。
その母はまどかに「お前は子供としてはもう合格だ。後は間違い方を覚えるだけだ」という。

子供だったまどかが「ママのようにがんばる大人」として見出した道が魔法少女だ。
でも、自分がなりたいものになるには問題があった。
マミの死後、ほむらの話を聞き、さやかが魔法少女同士の戦いを始めるに及び、まどかは魔法少女を「まちがったもの」と断じている。
※まどかにとっては、魔法少女は「夢と希望をかなえるもの」である。

ならばどうするか。「一緒に間違って間違い方を覚えろ」。
だから、まどかは人間として、さやかや杏子と行動を共にする。
その結果、杏子もさやかも死なせてしまい、人間のままではやっぱり無理、と限界を悟ることになる。
しかし、ほむらの「間違いまくった結果の話」も理解できるようになった。

だから、避難所で泣きじゃくって「でも・・でも・・」と2回うめいた後で自信を持って決断を出来るようになる。
ここで母が止める。大人になるための最大にして最後の障壁だ。

その母に対し、まどかは「ママはパパとタツヤのそばにいてあげて」という。
鹿目家の大人の重要な仕事は、大事な人のそばにいてあげることだ。
だから母はまどかを認め、大人として送り出す。

物語を通じて、まどかは一人前の大人になったのだ。


なお、ほむらは登場時、まどかに「あなたはまどかのままでいればいい」と忠告する。
が、この忠告は実は意味を成さない。
まどかにとって、魔法少女になることは違う自分になることを意味しないから。

ほむらとまどかの抱える「自分は何のとりえもない人間だ」というコンプレックスは、一見よく似ている。
しかし決定的な違いがある。ほむらはそれが自分の評価に影響することを恐れている。
一方、まどかはそれで他人の役に立てないことを恐れる。まどかは自己が確立されているのだ。

だから、ほむらにとって魔法少女になることは「違う自分になる」ことだが、まどかにとっては「自分のまま、ほしかった力を手に入れる」ことになる。
別の言葉にすると、まどかの場合は、魔法少女になる=大人になる(社会の中で自分の役割を持つ)、ことである。
※この点、まどかにとって「自分がなる魔法少女」とそのほかの魔法少女は明確に区別されている。
 一般的な魔法少女は「夢と希望をかなえる者」だが、魔法少女まどかは「かなうことを保障する者」でもある。
 「与えられた最強の力」を、まどかなりに噛み砕いているのだ。




<ほむらとまどか>
この記事でかなり書いている。
要約すると
・どの周回でも実はまどかがほむらを受け入れていて、それがほむらの絶望への耐性に大きく寄与している
・だが、ほむらはそれに気付いてはいない

また、劇中で追いかけていくと、ほむらの言葉のひとつひとつをまどかが真剣に聞いていることがわかる。
※劇中、魔法少女システムや魔法少女の悲劇について、まどかが同じ質問を二度したことはない。

ほむらの忠告は、彼女を「変なやつ」だと思わせもしたが、彼女が伝えたかった思いはまどかに(ほんの少しだが)届いている。
だから、まどかは一貫してほむらを敵視しない。「魔法少女ノート」にも、ほむらの絵がちゃんと描かれる。
これは、マミの死後の「あなたを非難する人間がいたら私が許さない」というほむらの発言で補強される。
まどかのほむらの人間性への信頼は、劇中を通して揺らいでいない。
だから、キュゥべえが「気をつけて。彼女は何か企んでいるよ」とアドバイスしたときも、まどかは頷いていない。

―ほむらの人間性は信用できそうだ。では、ほむらはなぜあの物言いになるのか?―

前編の後半以降、まどかはこの疑問をほむらにぶつけていくことになる。
ぶつけて考えつづけた結果、ほむらが告白したときの声がまどかに届くようになる。


本編の中でのほむらは、決して冷酷なわけではない。
さやかのソウルジェムへの扱いや杏子へのとっさの表情で見て取れる。
マミを救えなかったときにも悔しがり、その死を悼むように、瞳が潤んだような描写がされる(結界崩壊の前後)。


最初のオクタヴィア戦の杏子の窮地の際、ほむらは迷わず手を差し伸べている。
死体をまどかに見せるという意味もあったわけだが、杏子の本当のピンチの時には手の内を曝け出している。
なお、ほむらにとって「時間を止める」ことは死活問題だ。
止めたぶんだけ、肝心のワルプルギス戦のときに使える余力が減ることを意味するのだから。

2度目のオクタヴィアの結界内では、思わず杏子を助けて戦おうとするほむらを、杏子のほうが制している。
また、ほむらは「何であの子を止めなかったの!」とキュゥべえを責める。


ほむらは口下手なだけで、冷たい人間ではない。
一方の杏子も、死に際してほむらを「まどかを託せる相手」と見なしている。

また、ほむらは彼女なりに精一杯「伝えよう」としている。
これはマミとさやかには伝わっていないが、まどかにはちゃんと伝わっていた。
なお、杏子も死の寸前ではほむらの同志だったと私は思っている(後述する)。

なお、『始まりの物語』では、ほむらが運命を変えようとあがくポイントで大体新規BGMがかかっている。
彼女の悲壮な覚悟やもどかしさを象徴するかのように。
「ほむらの正体を知っているかいないかで物語の印象が変わる作りになっている」ことは、まどかマギカの大きな特徴だった。この特徴は、劇場版で更に強調されている。


ところで、劇中で大人になった(魔法少女からクラスチェンジした)人間は、まどかのほかにもう一人いる。ほむらだ。
「少女ほむら」がもっとも幸せだったのは、最初にまどかに出会った周回であろう。
「魔法少女ほむら」がもっとも幸せだったのは、二度目にまどかに会ったときだと思われる。
このときが「二人にとっての」幸せな少女時代であった、とも言える。
お互いに「間違え」「転び方を覚え」、劇中の周回において二人は新たな関係になる。

ほむらは「紫のイメージカラー」と「黒い髪」という、ふたつの属性色を持つ。
これは、「白い」女神へと成長を遂げた「桃色の少女」と対になるものとして機能している。



<まどかが人間のままだった意味・ほむらが周回した意味>
3週目と今次周回の違いでもある。
ひとつが杏子との関係の変化。
3周目では、杏子にとってのまどかは「同じ魔法少女」だった。
だが、今次周回では「魔法少女を受け入れた人間」として登場する。
人間は脆い。魔法少女のように自衛ができない。だから、今次周回では杏子がまどかを守る構図になる。
※なお、魔法少女まどかの回避能力は優秀である。「どんくさい」とは程遠い。

この「人間を守る魔法少女」という構図こそ、杏子がなりたかったものに他ならない。
その「人間」まどかは何をしたか?TV版でも暗示されていたが、劇場版で明示された。
「杏子のために体を張ってくれる人間」は、杏子が渇望していたものであろう。

※この点、『始まりの物語』がキュゥべえの魔法少女たちの悲劇の物語であるのに対し、『永遠の物語』はまどかを守る魔法少女たちが希望をつないでいく物語と言える。


もうひとつは、ほむらとの関係。
3週目のほむらには、まどかという同志がいた。が、4週以降のほむらは孤独な戦いをしている。
魔法少女の孤独を見つめ続け、「You are not alone」を言い続けた今次周回のまどかだから、ほむらの背負う孤独が理解できたわけだ。
また、ほむらの「理解してもらえず、対処も期待できないほど深刻な孤独」も、今次周回になるまでは溜まっていなかった可能性がある。

※なお、3週目はまどかが唯一ほむらにウソをつくシーンが出てくる回でもある。
 まどかの「ウソ」はきちんと劇中では表現されているが、フィルムコミックも小説版もなぜかここにスポットを当てていない。



もうひとつがキュゥべえ・さやかとの関係。
因果が溜まってまどかが強力になったことで、キュゥべえにとって彼女が「自分から積極的に勧誘する対象」になった。
「ボクと契約して魔法少女になってよ」は定番とも言えるせりふだが、キュウべえにこれを言わせる状況に持ち込んだのは、劇中ではまどかだけだ。

ほかの少女たちは、少女のほうからキュゥべえにお願いしている。
まどかに対してのみ、キュゥべえが頼む(けしかける)立場になっている。
また、キュゥべえの方から少女を呼んだことで「二人の魔法少女候補者が契約を即決しないまま同時に存在する」状況になった。

この結果、まどかが「比較して」熟考をできるようになった。

なお、キュゥべえの呼びかけの対象が一人なのか二人なのか?は一考の余地がある。
「ボクと契約して魔法少女になってよ」という呼びかけ自体は、鹿目まどかと美樹さやか、二人に対して行われている。
一方、キュゥべえが助けを求めたのはまどかに対してのみだ。
また、一度去るときもまどかに対してしか別れを告げていない。その場にさやかがいたにも拘らず、である。
このため、私はキュゥべえが目をつけていたのはあくまでまどかで、さやかは「お♪この子も悪くないじゃん♪」程度だったと思っている。


最後に、「人間・鹿目まどかの追跡能力の成長」がある。

仲間のピンチに駆けつけるには、どうすればよいのか?
キュゥべえを使えば最短距離で効率的に駆けつけられる。これは、まずマミがさやか相手に使って見せた。
まどかもこれを使い、さやかと杏子の2度目の戦いを食い止めることができた。
キュゥべえ不在でまどか独力の場合でも、まどかは相当いいカンをしている。
このときの彼女は線路内に立ち入り、さやかの魔女化した駅に程近い場所まで迫っている。
まどか自身の感性は恐るべきレベルである。

※なお、このころキュゥべえが「魔法少女と呼ぶべきだね(ドヤァ)」していた。まどかを魔法少女にするにはこのときをおいてなかったのに。
※シャルロッテ戦のときも、まどかはどうやってマミを探し当てたのだろう?

だから、最後の最後、大都会・見滝原でめまぐるしく位置を変えて戦っていたほむらの元に、まどかは素早く正確にたどり着くことができた。

余談だが、まどかのとっさの動きは凄まじい。
ほむら・杏子・ジェムの発動速度より速くさやかのジェムを投げ捨てるわ、魔女に操られた人たちの包囲の中でバケツの水を捨てるわ、人間鹿目まどか自体が「何のとりえもない」というのが不遜というレベルで「デキる」人間だ。

なお、まどかは助けたかったものは必ず助けている。彼女はあくまでヒーローだ。
彼女は魔女になるにしても、守るべきものを守りきった後である。




<魔法少女の最期>
マミは本当の意味で心が解放され、心から笑えるようになったときに死んでいる。
ただし、戦い方が杜撰になっている。
これまで守り続けていた「一発必中」が崩れているし、敵から目線も切ってしまっている。


さやかは心が壊れたときに戦い方が完成される。このときの彼女は今までで一番速く効率的に動けている。
杏子乱入後のさやかの突撃速度は、その前に比べて速い。かつ、スピードを落とさずに相手の攻撃を切り払えている。
また、その後の戦闘ではフラフラの状態でもリズミカルに一太刀ずつで使い魔を切り殺している。
表面的な悲劇もさることながら、「強さに開眼しているのに、気づくことも評価されることもなく横死した」ことがさやかの悲劇を倍増させる。


杏子は強力なスピードファイターだ。
さやかとの交戦で、握っていた刀でそのまま斬りつけたさやかに、地面に刺していた槍を手首で反転させるだけでらくらく迎撃している。
また、ゲーセンのシーンではほむらと会話しながらもリズムが乱れず、パーフェクトを叩き出している。
考えながら高速戦闘がこなせるわけで、彼女から余裕の笑みが消えない強力なバックボーンになっている。

スピードが命だから、彼女が最後に行った「動かずにまどかを守って戦う」戦い方は、本来ならば一番やってはいけない戦法だ。

しかし、杏子はその戦いで一番ほしかったものを得た。
即ち、「自分を心から大事にしてくれる誰かを守るための戦場」だ。
彼女は「魔法少女」として、笑って逝った。


最後に、1周目のまどか。
「ほむらちゃんが魔女に襲われたときに間に合って助けられたことが私の誇り。だから魔法少女になってよかった」
と告げ、死地に赴く。

―ほむらが魔女に襲われたとき、まどかが間に合って助ける―

物語のラストで、この構図は再び実現する。魔法少女と普通の少女、立場を入れ替えて。

いや、振り返れば、3周目でも4周目でも、ほむらの窮地を救ったのはまどかだ。
まどかはいつも、そのときにできる手段でほむらの窮地に間に合っている。
それが、ほむらに本当の幸せをもたらしたかはともかく。



<美樹さやか>
彼女はまどか、ほむら、杏子それぞれと対になる存在として描かれる。

・対まどか
お互いに「幸せ家族に囲まれて」「何でも持っている」存在。
さやかは自分が恵まれていて余裕があることが前提になっている。マミが死んだときも、さやかは見滝原の防衛を考えた。

これは「何も持っていない(できない)自分」を思考の原点にしているまどかと対照的である。

が、さやかのこの自信は空虚なものだ。
実は彼女は自信がない人間だ。自分の実力にも容姿にも。
だから、ひとみやほむらなど、きらびやかな人間、優れた人間を前にしたときに感情が乱れるし、魔法少女になったことで「自信と安心感」を得たと述懐する。彼女もほむら同様、魔法少女になることで「違う自分になった」のだ。

いみじくも、さやかはまどかに「何でもできるくせに何もしない」となじっている。
裏を返せば、「何にもできないくせに多くを望もうとした」ことに気づかされたのが終盤のさやかだ。
彼女はそこまで追い込まれていた。

逆に言えば、「さやかがなぜあんなことになったのか」の要因を全部つぶしていくと、まどかの行動が大体説明できる。


もうひとつのポイントは、「魔法少女マミとの出会いで何を見たか」だ。
くしくも、彼女はマミの強い部分だけしか見ていない。
また、さやかがマミと出会った時点では恭介が入院しており、さやかはまどかと違って「守るべき誰か」を抱える存在であった。また、マミは普段は弱みを見せておらず、魔法少女システムの実相も知らないから、システムについての説明は願いの部分に比重が置かれている。

このため、「自分が戦う」「願いを叶える」方に進んださやかと、「戦う人に寄り添う」「願いを保障する」方に進んだまどかの道が分かれていくことになる。

なお、この説明のシーンで、マミが不自然に「ガラス越し」に何度か描かれる。
まるで「彼女はもう半分死んでいるんですよ」と暗示するかのように。
また、このときにまどかが「魔女」という単語にハッとなっている。
あるいは、前の周回でのほむらの声が記憶のどこかに届いていたのかもしれない。



・対ほむら
この辺この辺で書いた。
まどかに対する立場的にも、魔法少女として与えられた能力としても、二人は対になっている部分がある。
なお、ほむらの象徴が時の歯車であるのに対し、さやかの象徴は車輪。

また、まどかはさやかからもほむらからも一回ずつ逃げている。
去っていくさやかを追いかけることから逃げたし、泣きじゃくるほむらに声をかけることからも逃げている。
その意味でも、両者は対になっている。


・対杏子
劇場版での杏子のさやかの初見は病院の屋上のシーン、さやかが幸せの絶頂にいるときだ。
つまり、「幸せ家族に囲まれているのに、気まぐれで魔法少女になった人間」として映ったはず。杏子の一番嫌いなタイプだ。

実際、さやかは杏子がほしかったもの(衣食住に困らない環境、家族、理解者)を持っているが、それに感謝をしていない人間である。
なお、杏子が「魔法少女は一人ぼっちなんだぞ!」とさやかに言った声が届かなかったのは、さやかが常に「魔法少女ではない普通の人間だが、さやかを受け入れてくれる人間」・まどかと行動を共にしていたからである。

杏子がさやかを認めたのは「根性があったから」であろう。
最初は両手での全力攻撃ですら片手の杏子にあしらわれていたのに、杏子の両手での突きを真正面から押し返したのだから。
ついで、魔法少女になった理由を知ったことで親近感がわいたものと思われる。
恐らくキュゥべえに「アイツどうして魔法少女になったの?」とでもきいたのであろう。

ただ、杏子とさやかのコミュニケーションは最悪だ。お互いにお互いの聖域を踏みにじっている。
杏子は「坊やの手も足もズタズタにしてやろうか?」ということで、さやかの聖域「上条恭介の音」への無理解を露呈した。
いっぽう、さやかは教会で杏子が思わず見せた「親譲りの美徳」を「それっておかしくない?」と一蹴してしまっている。
また、杏子が最初に口にした「使い魔は魔女になるまで放置しろ」は、さやかにとっては絶対に見過ごせない一言だ。
「例え使い魔だろうとほっておけない」魔法少女のマミが来ていなかったら、自分たちは助かっていなかったのだから。

※実際はほむらが助けに来ていたはずだが、さやかはそうは思っていない。

なお、杏子が事件後の教会に他人を入れたのは、さやかが初めてであろう。
杏子も、自分の聖域の中にさやかを招こうとしたのだ。しかし、これもさやかに拒まれている。
ひとりぼっちの杏子の声は、ひとりぼっちじゃないことに無自覚だったさやかには届かなかった。



<佐倉杏子>
劇場版で彼女の扱いが大きく変わった。
TV版では「杏さや」と言われるようにさやかとの関係が注目されがちだが、劇場版ではむしろまどかの騎士として描かれる。

彼女のせりふの定番「食うかい?」はまどかに対しては発動していない。
まどかの方が先に手を差し伸べたからだ。

杏子の当初のまどか認識は「ウザいやつについているウザい仲間」である。
評価が変わったのは、さやかの死体を見て泣きじゃくるまどかを見たときであろう。
(これはハノカゲ先生の『The Different Story』で強調されている)

このときから、杏子にとってのまどかが、「魔法少女の死を悼んでくれる特別な人間」になる。
まどかはその期待を裏切ることなく、一貫して杏子のそばに居続けた。

「アンタ本当に変なヤツだな」というときの杏子はもう、完全に心を許した顔になっている。

まどかが杏子に何をもたらしたのか、は何度も書いた通り。
杏子が最初になりたかった「正義の魔法少女」としての最期だ。


では、杏子はまどかに何をもたらしたのか?
一緒に体を張って間違ってみせることで、「魔法少女(全般)に対してまどかができることを自覚させた」ことであろう。
のちに、ほむらがまどかに「あなたを守ることが私の願い」と告白する。
これを、まどかは「みんなの願いを無駄にしない」という方向に拡張する。
杏子との経験が、まどかがほむらの願いを拡張する重要な土壌になっている。

杏子とまどかの関係を考える上で、もうひとつ忘れてはならないのは杏子の父親の問題。
杏子の行動を見る限り、父親の教えとは「困っている人を助けろ」「他人に献身しろ」「自分のためだけに力を使うな」といった類のお人よしな思想だと思われる。
また、杏子の父は「新聞の死亡記事で涙を流す」ような、過度ともいえる優しさを持った人間だ。
このやさしさは、まどかのやさしさに通じるものでもある。
そのつもりで聞くと、杏子が語る父親の人となりの長所の部分は、ほとんどまどかにも当てはまる。

「新しい時代には新しい信仰が必要だ」とは、杏子の記憶に残っていた父親の弁。
杏子はまどかと出会い、父の思想の先にあるものを見て逝ったのではないか。
まどかという「魔法少女たちの希望になりうる人間」を守る戦場で、杏子は死に場所を得たのではないか。
一人じゃないと確信できたから、彼女はさやかのそばにいてやる心の余裕ができたのではないか?

杏子はほむらの正体も願いも、詳しく知ることはなかった。
しかし「まどかという希望を守る」という点で、彼女の最後の立ち位置は期せずして、ほむらに近いものになった。
彼女もまた、まどかを「望んで」「守った」人間だったのだから。

なお、劇中でまどかを積極的に「望んで」「守った」のはほむらと杏子である。
また、まどかの両親も彼女を望んで守っていたことが、彼女の口から語られている。



<巴マミ>
誰か忘れてると思ったら(爆)
登場シーンが削られているうえに「マミって」退場してしまう。

でも、彼女はとても重要な存在だ。
ほかの魔法少女全員にとっての「こうありたい、カッコイイ魔法少女」の原点はマミだ。
魔法少女としての一般的な姿ではない。キュゥべえは「マミのようなタイプは珍しい」と言っているのだから。
マミが努力して作った「自分がなりたい自分」のイメージが、他の全員の魔法少女観に大きく影響しているのだ。

ほむらが見た「かっこいいまどか」は、マミに憧れてかっこよく変わったまどかの姿だ。
さやかにとっても「あるべき正義の味方像」として良くも悪くも作用している。
マミと一時行動を共にしていた杏子にとっても、恐らくは「あるべき姿」であったことが見て取れる。
(これは劇中で明示されていないが)
そして、マミに影響を受けたであろう1週目でのまどかの行動が、その後のほむらの行動と生き方を規定した。

「すべての原点」としてのマミの遺風は、物語の全編を通じて息づいている。

同時に、マミの限界も示される。
ほむらに対しての姿勢で、彼女の臆病さ(恐らくは孤独に基づくもの)が垣間見られる。
彼女は「キュゥべえをいじめたから」ではなく、縄張りに来たヨソモノとして、最初からほむらを相当警戒しているのだ。

なお、さやかもほむらを敵視しているが、原因が異なる。
さやかの場合は元々のコンプレックスがある。
加えて、ほむらのまどかへの攻撃的な(さやかにはそう見えていたはずだ)再三の言動が原因だと思われる。


ところで、劇場版の公開前はいろいろな憶測が流れていた。
新しいシーンが追加される可能性や、ストーリーの展開そのものが変わる可能性も大真面目に取り沙汰されていたのである。
「あるいは、マミの運命も変わるかもしれない」という希望もあった。
だから、病院のお菓子の魔女の結界内でのほむらとの対話時の新BGMは、最初に聞いたときには新鮮な意味があった。
そこでのマミの選択と、続く「もう何も怖くない」のときにかかる挿入歌によって、マミの悲劇が確定した。



<キュゥべえ>
こことかこことかここで何度か書いたが、彼が有能なのかは疑わしい。
契約に忠実なのか、女子中学生と戯れるのが趣味なのかも不明だ。

劇場版で重要なことは、まどかとキュゥべえの議論が常に「まどかとほむらの会話内容をキュゥべえが完全に把握している」ことを前提に進んでいることだ。
契約をさせたいキュゥべえ側の事情もあるが、キュゥべえはまどかの良き案内役としても機能している。
なお、劇場版になってキュゥべえの「ほむらの表情を読む」能力は強化されたように思う。

・・・ていうか、コイツ絶対感情あるよね?w



<杏子の救済、杏子への救済>
佐倉杏子のキーワードに「還元」がある。救済の還元だ。
杏子はまどかとの短い接触の中で、まどかの役割を決定付けた。

登場時の杏子はさみしがりやだ。魔法少女が一人ぼっちだと思っていて、仲間を求めていた。
だから「同じ魔法少女のよしみ」といったり、さやかやほむらに対してもどことなく気を許していたり、「ほかに仲間なんていないんだぞ」と言ったりしている。
彼女は「誰かに側にいてほしい人間」だった。

側にいてほしいからさやかの側にいようとしたが、当のさやかが拒絶した。
このときの杏子は、「正義の魔法少女」さやかに対して引け目を感じてしまってもいる。
教会で青い光が見えた(=さやかをまぶしいものとして認識した)後、杏子はさやかの青臭い正論に反論することも、追いかけることもできていない。
本当ならば、「弱いお前がきいた風な正義を騙るな」でぶちのめしても良いはずだ。

杏子といえばさやかとのカップリングが定番だ。「いいよ。一緒にいてやるよ。一人ぼっちは寂しいからな」の台詞と共に。
上の流れで行けば、これはおかしい。
自分はさやかの隣に立てないと思ったから、杏子は今一歩さやかとの距離を詰められていない。
※だから、さやか魔女化のときも杏子はさやかに触れていない。お互いにハグをしたまどかほむらと対照的である。

でも、「いいよ、一緒にいてやるよ」は一緒にいてほしい寂しがり屋の台詞ではなく、相手の寂しさを理解する余裕のある人間の言葉だ。
ここに、まどかの果たした役割がある。
まどかは「親友だから」さやかに対して優しい人間だったわけではなかった。
彼女は、「堕ちた魔法少女」の杏子にも等しい気持ちで接し、実際に杏子のために命を張った。
杏子は寂しがる必要がなくなり、自分がされた救済を他の孤独な者に還元できる立場になる。

致命傷を負ったこと、後を託せる仲間(ほむら)が到着したこともあるが、
杏子が特攻という形で、あの台詞&穏やかな笑みと共にさやかにケリをつけたのは、自身が満たされたからでもある。




<「うそつき」と「よわむし」>
なお、本編では「嘘」と「勇気」が隠れテーマになっている。
まどかは箱の魔女戦で自責する。「これは、私がうそつきで弱虫だった罰だ」。


仁美がいみじくも「本当の気持ちと向き合えますか?」と切り込んでいる。
また、物語のキャッチコピーも「かなえたい願いがあった。自分を騙してでも」である。

まどかマギカの劇場版を通じ、ウソの意味はとても重い。まどか世界の人間は、「ウソを言わない」という暗黙の了解がある。
まどかの母はまどかに「ウソもつかない間違ったこともしない」といい、だから「子供としては合格」と太鼓判を押す。
キュゥべえですらも、「隠し事はするがウソは言わない」存在として扱われている。

また、ほむらに対しては「うそつきだなんて思いたくない」というせりふが、ほむらが感情を吐露するきっかけになっている。
つまり、ほむらにとって、まどかがほむらの言葉を理解できないことより、まどかがほむらの言葉を相手にしないことの方が深刻だということだ。
※この発言はまた、まどかがほむらの今までの忠告のひとつひとつを真摯に受け止めていたことを裏書している。
※アニメ版では、さやかもほむらのことを「うそつき」と指摘している。

振り返ると、劇中で意図的にウソをついた人間はまどかだけだ。
彼女はほむらと母相手にそれぞれ、一度ずつウソをつく。いずれも象徴的に描かれている。
ほむら相手のときは一呼吸置いて空を見上げ、覚悟を決めたように笑う。
母相手のときは、否定的な感情と共に多用される「水滴」が落ちる。



「ウソをつかない」と並ぶもうひとつの規範が「弱虫でないこと」。これは「一人ぼっち」や「勇気」と対になる概念だ。
まどかはマミの家で「弱くてごめんなさい」と泣きじゃくり、一度魔法少女たちとの関わりから抜けようとする。
まどかはその弱い自分を責めていて、ハコの魔女につけこまれた。
自分は弱い。でも孤独な魔法少女たちに何かをしたい。だけど魔法少女になろうとするとなぜかほむらが止めにくる。
そんな運命に翻弄されつつあがくのが、『始まりの物語』のまどかだ。

弱虫とは何か。戦場から逃げ出す者だ。劇中で、自分の戦場から逃げた魔法少女はいない。
行かなくちゃいけないときに行かなくちゃいけない戦場に行く。たとえ一人でも、どんなに怖くても。
行かなくちゃいけない戦場とは、魔法少女としての契約に縛られた戦場だ。

ところが、まどかだけが「逃げよう」としている。三回も。
最初がマミが死んだとき、二回目がさやかが「ついてこないで」と走り去ったとき。
三回目が、噴水の前でほむらがいきなりきゅぅべえを射殺し、泣き崩れたとき。
『始まりの物語』では、まどかは逃げたまま終わる。

では、どこで対抗したのか?
ほむらと杏子が、少しずつきっかけを作っている。
ほむらとの会話でまどかはさやかを支えることを選び、杏子と一緒に行動する中でまどかは「魔法少女問題と逃げずに向き合う方法」を覚えていく。
また、まどかの安直な契約は何度もほむらが阻止している。

こうして見てくると、『始まりの物語』は少女たちが運命に呑まれかける話で、『永遠の物語』は生き残った少女たちが反撃していく話であることがわかる。
なお、かなり前のほうで書いたように、『始まりの物語』ではほむらが「運命に抗う」局面で新曲や新カットが使われていることが多い。


以下は私見になる。
まどかマギカでまどかが抗ったものは「希望と、その源泉になる自信の否定」である。
言い換えると「否定される努力」に対して敢然と立ち向かう。
※その意味で、今「なぜまどかマギカはあのタイトルなのか?」と問われれば、まどかがマギカを使って魔法少女という言葉の意味を再定義したからだ、となる。

一方、上に見てきたように、まどかマギカ世界は「ウソ」と「現実からの逃避」が厳格な悪として横たわっている世界だ。
つまり、人が前向きに努力すること自体が肯定される世界観である。
どんなに無力な人間でも、一人ぼっちでも、なせることを持っている。この事実は否定されない。
言い換えれば、「いやなやつ」や「きもちわるいやつ」が出てこない世界だ。

この「根本的な世界のやさしさ」があるから、まどかマギカは子供に見せても良い作品なのではないか。




<水>
劇中では水の流れや水滴が頻繁に登場する。
「自然の中を流れていく水」が、希望や平和な日常とセットになっている。
いっぽう、「浄化されないままの水」や「水滴」は、報われず絶望になるものやウソとともに登場する。
つまり、清流が希望、そうではない水は絶望(魔法少女の悲劇)とセットになっているのだ。

だから絶望がたまるほどに雨が増すし、ワルプルギスの夜との戦場は河口に程近い「汚い水が沢山ある場所」で行われる。
一方、女神まどかの浄化によって水は正しく「源流から海まで」流れていくことになる。
ただ、水の描写は劇場版になって大幅に強化されたから、劇場版での後付的な意味合いも多い。



<高さ>
魔法少女の登場に伴い、段階的に物理的な高さがあがっていく。
さやかが幸せの絶頂にあった屋上はマミの部屋よりも高く、そのさやかをより高い場所にいる杏子が見下ろす。
ほむらだけ高さのルールの外にあったが、最後にリボンほむらが「一番高い塔」から下界に降り立っていく。


<光>
これだけ、まだ意味がわかっていない。
まどかが戦うマミを見たとき、さやかが杏子と話しているとき、それぞれ一瞬、何の脈絡もなく光明が差す。
それぞれ、異質な世界を生きる二人の少女の心が交差した象徴、ということか?

2012年11月8日追記
意味がわかった。光は「まぶしいもの」「あこがれるもの」の象徴として機能している。
まどかは黄色い光と共にマミを見て、「あんな風になりたい」と思い、そこから彼女の人生が動いてゆく。
杏子は青い光と共にさやかを見て、そこに「かつて失ってしまった、理想を追っていたころの自分」を見出す。
それが後に杏子の命運を決していくことになる。



<小ネタ>
・さやか対仁美
仁美がさやかに上条への思いを打ち明けるシーン、「どちらの手が上か」で誰の手かを見分けることができる。
仁美は右手を上に、さやかは左手を上に組んでいる。


・魔法少女の「ほぼ全員集合」のシーンは意外と多い。
すれ違いだけがなくなれば、全員が共闘することは「タイミング的には」余裕で可能だった。


・まどかの深呼吸
魔法少女になるとき、わざわざ深呼吸をしている。
契約にいたる一連の行動はまどかは確信を持って行っているから、「願いを強くするにはどうしたらいいのか?」をキュゥべえにたずね、火力の底上げを図っていたものと思われる。


・Magia
少女のシルエットの登場順で、「劇中での魔法少女史」と「まどかの歩み」がそれぞれ再現されてる。


・改変後のインキュベーターとほむら
ほむらはキュゥべえに「あなたたち」と呼びかけている。
改変前は「おまえたち」。魔法少女とインキュベーターの関係が変化したことを示す傍証になっている。


・キュゥべえとマミ
マミの死に対し、キュゥべえは一切反応を見せていない。そのまま契約を迫る。


・見滝原市
映画化に伴い、スクリーン映えするような大都会へと変貌した。
「美しい見滝原」の情景は物語の節目でなんども挿入される。
魔法少女たちはこの町を「俯瞰的に見下ろせる」場所にいることが多い。
彼女たちの眼下にある「人々の息遣い」はまた、彼女たちが心身を捧げて守ろうとしていたものでもある。
魔法少女たちのふるさと・見滝原が美しく描かれることで、少女たちの生と覚悟もまた、際立つ。


・・・こんなかんじかな?
上映しているうちにまた見てみると面白いですよ!ってことで。


<ストリーミング視聴>
クリックでバンダイチャンネルに飛びます。
始まりの物語 永遠の物語 TV版12話パック



<関連リンク>
・TV版を見たときの感想・考察など(古い順)

まどかマギカ感想 3:もう何も恐くない
まどマギのタイトルはなんで「魔法少女まどか」なのか?
暁美ほむらの戦場1:ほむらはなぜホマンドーしたのか
暁美ほむらの戦場2:ワルプルギスの夜の真実 (ピタほむスイッチ徹底解析)
暁美ほむらの戦場3:ワルプルギスの夜には物理攻撃が効かない?
暁美ほむらの戦場4:「交わした約束」に託されたもの(巴マミ「暴走」の真相)
まどかマギカ感想 9:そんなの、あたしが許さない
まどかマギカ感想 11:最後に残った道しるべ
まどかマギカ感想 12:私の、最高の友達


Togetter

悲惨な営業キュゥべえさん
暁美ほむらの強さについて
キュゥべえさんについて
キュゥべえさん(おまけ)
魔法少女・美樹さやかの救いについて
対比として、美樹さやかと暁美ほむら(叩き台)

 












にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

category: まどかマギカ

thread: 魔法少女まどか★マギカ

janre: アニメ・コミック

コメント

<魔法少女の最期>でマミの戦い方が杜撰になっていると書かれていましたが、あの場面のマミは杜撰どころか非常に用心深い戦い方をしています。

まず、シャルロッテ第一形態を倒した時の手順ですが、最初に全身に弾を当て、次に頭を撃ち抜き、駄目押しに拘束した上にTFを叩き込むなど、極めて念入りなものです。

また、劇中においてマミがTFを発射した後、その場から動き出す時間を計測したところ、2話、3話冒頭ともに約20秒かかっています。シャルロッテにマミが噛まれたのはTF発射後約14秒後であり、或いはマミは「動きたくても動けなかった」可能性もあると思われます。
「マミの銃は発射後に大きな隙が出来る」という公式設定も一応あります(公式GB109 Pを参照。ただし、具体的にどのような隙なのかは詳細不明)。
もし、TFが発射後20秒前後その場から動けないという弱点が仮にあったとしても、実はマミは劇中でその対策をきちんと立てています。「魔女にTFを撃つときは必ずバインドで拘束している」のです(これは後続のTDSでも確認できる描写です)。ここからマミの万一TFをし損じても拘束している間に20秒を稼ぎ、次に繋げるという注意深さが見えると思われます。

では、マミは何故シャルに敗れたのか?
少なくとも虚淵によると「何かヘタを打ったのではなく、たまたま相性が悪かった」です(BS275Pを参照)
これは後に虚淵がシナリオを監修したPSP版でも踏襲されており、マミはまどかにもさやかにも出会う前に一人でシャルロッテと戦い、やはりアニメと同じ事態に
陥ってしまっています。
虚淵の先の発言が示すとおり、アニメ版のマミの戦い方が非常に注意深いものであることは既に述べた通りです。

私が考えるに、マミの敗因、それは「バインドへの信仰」だと思われます。
というのも、「バインドさえ有効だったならシャルはあの場から動けず、マミも噛まれることは無かったからです」
脚本にはこのシーンは「だが、今回の魔女は身体が伸縮自在な構造だった。」(BS46P)とあります。
つまり、「バインドを無効化して伸縮自在に間合いを詰めてくるシャル」は、「バインドを前提としたTFによる一撃離脱の戦い方のマミ」とは「非常に相性が悪い」のです。
これは私の仮説ですが、マミはバインドを無効化する相手の想定を無意識に避けてしまっていたように思うのです。上手く、きつく縛る事は考えても、縛れない可能性からは無意識に目を背ける。
だから、シャルを縛ったことで安心して「視線も逸らしてしまう」。
これはマミの願いが「繋ぎ止める」ということに関係していると考えます。
というのも、ここでまどマギの魔法少女は皆、「自分の願いに裏切られるという」構造が完成するのです。
繋ぎ止めることを願ったマミは繋ぎ止められないシャルに敗れ、
肉体を癒すことを願ったさやかは癒せない心の痛みに絶望し、
幻惑を願った杏子は幻惑を良しとしない父を失い、
巻き戻しを願ったほむらは巻き戻してなお積み重なる因果を思い知る。
よって、「マミが繋ぎ止められない相手を想定することを無意識に避けた」ことは大いにあり得ると考えます。

長くなってしまいましたが、私は
・三話部分でのマミの戦闘は杜撰なものではなく、非常に注意深いものだった。
・敗因があるとすれば、それはマミが「バインドで何でも繋ぎ止められると信仰し、無意識下でそもそも拘束出来ない相手の想定を避けてしまっていた」こと
・上項より、バインドで拘束不可能なシャルロッテは非常にマミと相性が悪い。
と考えます。

以上です。前回と同じく、例によって例の如く長くなってしまって本当にすいません・・・。

タングステン@狼喰鉱石 #- | URL
2012/10/29 22:11 | edit

補足すると、まどマギの魔法少女は皆、「自分の願いに裏切られるという」構造が完成するというのは、
「まどマギの魔法少女はどうも自分の願いが裏切られる危険を無意識に閉め出しているようなきらいがある」ということです。
事実、例えばほむらは最終周までQBに指摘されるまで自分がまどかを強くしている可能性をはっきりと意識しませんでした。

インキュベーターの魔法少女の選定条件はここにあるとも考えます。
即ち、
「自分の願いが裏切られる可能性を考えないほど強く何かを願うことが出来る心の純粋さ」
「自分の願いが裏切られることを恐れ、無意識にその可能性を思考から閉め出そうとしてしまう臆病さ、心の脆さ」

この二つはとてもインキュベーターにとって都合が良い。
「強力なエネルギー源」が、「全くの不意を突かれ自身の願いに裏切られ」て、その結果「一気に希望から絶望への相転移が生じる」のですから。

タングステン@狼喰鉱石 #- | URL
2012/10/29 22:42 | edit

本文もコメントの文章もとても面白かったです
キュゥべぇがさやかに魔法少女になることをけしかけるシーンはTV版3話でありましたね
TV版8話でまどかはさやかのために願うようになることから、キュゥべぇのさやかへの契約はまどかを契約させるための布石として置いたのではないかと思っていました

名無し #- | URL
2012/11/05 00:49 | edit

杏子の救済ですが、あの時点で杏子は救済はされていないと思います。
本当に救済されたのはまどかが概念になってからです。
あの時点で杏子が救済されると辻褄が合わないので。
あそこはまどかを危険に巻き込んでしまったことの謝罪と
ほむらに後をたくす意味だとおもいます。

名無しさん #- | URL
2012/11/09 14:38 | edit

追記すると9話までは魔法少女の絶望をまどかに突きつける物語となっていますので杏子があそこで満たされているのはおかしいのです。
最後のまどかの願いから改変世界になってから各魔法少女が救われた旨のことを公式も発言していますので。

名無しさん #- | URL
2012/11/09 17:51 | edit

※シャルロッテ戦のときも、まどかはどうやってマミを探し当てたのだろう?

1,さやかとまどかは普段通いなれた場所であった(さやかは頻繁に恭介の見舞いに行き、まどかは外で待ってた)

2、さやかは消える時かばんを残していた

3、「ここね」とGSの痕跡を見つけたのはマミ

#- | URL
2013/02/02 15:09 | edit

杏子がまどかを守りながら戦うのは本来の戦い方と違うし、結界を張ったりと酷く魔力を消費してしまいます。
そして、まどかは気絶して説得も出来ず、魔力も僅かで絶対絶命でしょう。でもその時にほむらが来たことにより救われたと思います。まどかを自分のせいで死なさずに済んだ訳ですし
杏子は勿論責任を感じます、だから自分で蹴りをつけることを選びました。杏子にとってはさやかは特別な存在でありますが、自爆を選んだのは魔力的な問題も大きいと思います。
残りの魔力を全部使わなければオクタヴィアは倒せないと考えると、辻褄が合います。魔法少女は魔力を使いきると魔女に成ってしまうので、自ら命石を砕いたのだと思ってます。

名無しさん #- | URL
2013/02/02 17:11 | edit

回答遅くなり申し訳ありません。

>>タングステン様
いつもTwitterでお世話になっております。

ご指摘のマミの杜撰さについて。
私が杜撰と談じた根拠は、飽和攻撃ではなく狙撃のときに3発の無駄弾が出ていること(第一形態に対して)。
これは命中率にすると50%になっており、この3発があればマミが生存できた可能性があります。
もうひとつが、これもTwitterで話になりましたが、まどかたちに微笑み返してしまっていること。
バラの魔女戦のときには「私は大丈夫だ!」と伝える意味合いがありましたが、今回の場合は過剰な精神的な余裕が招いた失策のように思います。


「願いに裏切られる」については同感です。メタ的に考えるなら、あれでしっくりきます。


>>名無し様
キュゥべえってそういうヤツに見られてますよね。。。
私見だと、そこまで悪辣に罠を張れるのかなあ?というのは感じます。
結構馬鹿正直に答えてしまう人(?)なので、目的が人類と違うだけで、騙し合いは彼はあんまり強くないように思います。

>>名無しさん様
「救済」を何とみなすかによります。私は杏子散華のときのあの笑顔が屈託がないと感じたので、本人的に自分の人生に納得はいったのかな、とは思いました。

>>※さま
マミたちがさやかの元にたどり着いた理由はそれで説明ができます。
まどかがマミをどうやって見つけたのか?なのですが、以前に「家にいったんじゃない?カギあいたままだったし」と言うコメントをいただいたことがあります。また、マミは鞄を持っていませんでした。私も同感です。


>>名無しさん様
杏子は魔力損耗が外見に出まくってましたよね。
グリーフシードはあったはずですが、「一度くらい夢を見させてくれ」というセリフから見て、彼女はあそこを自分の納得できる死に場所に選んだのかな、とも思います。

さわK #- | URL
2013/02/02 18:03 | edit

杏子の自爆について色々理由が出てるけど、多分どれも当たってんじゃない?
杏子は別に死にたかった訳じゃないと思う、出来れば生きたかった筈。でも仕方ないし最後に理想のやりたかった事が出来たので、その場所で死を選んだ(自分の魔女化阻止も含めて)
俺は百合とかあまり好きじゃないので、杏子がさやかに変な感情を抱いていたとは考えたくないな(公式で言われたら認めるしか無いけど)

あと、QBは知能は高いんじゃないか?
感情も恐らくあるように見えてないと思う。QBは今まで様々な人間を見て歩んできた、だから人間の事を凄く理解しているだろう。なんでそんな反応するかは理解できないだろうけど
だから何を言えば人間が悲しむか、喜ぶかを今までの知恵(人間の反応)から予想できる。最初は近づきやすいように、敵視させない言動を使ったり、飯を食べたり、ニコニコしたり普通に振る舞ってるだけ

名無しさ #- | URL
2013/02/03 00:30 | edit

>名無しさ様
まどかの登場人物を百合として解釈する人が多いですが、自分はどれもあくまで友情だと思っています。
杏子がさやかに抱いた感情は写し鏡と公式が解説していたのを見ました。杏子は正義を諦めてしまったことで魔法少女として長く生きている。しかし、それは自分の意思に反しているので納得していない。そんな時に本当はそうしたかった自分(さやか)が現れた。
さやかは自滅してしまいましたが、本来なら自分もさやかのようになっていたかもしれない、むしろさやかのように(例え自滅したとしても正義の魔法少女でいたかった)なりたかったのかもしれないという思いを抱いていたらしいです。
だから、さやかを救いたかった=生きたかったと思います。
だけど救えない&致命傷を負った&まどか達が危険ということであそこを死に場所に選らんだのだと思います。

名無しさん #- | URL
2013/02/03 00:51 | edit

杏子は自分の願いで他人が不幸になったから、魔法を自分の為にしか使わなくなった 。最初は人助けがしたくて願ったのにね
だから、マミとも一緒に居られなくなりコンビを解消(多分本当は一緒に居たかった筈)
俺は出てきた当時のさやかをぶっ倒す杏子が好きだったな。魔法少女としても長生きするタイプだし、でもその杏子は本当の杏子では無かったんだよね
。多分、多くのファンは杏子が心変わりしたと思ってるけど、心変わりと言うよりも、心が戻った(昔を思い出した?)みたいな感じだと思ってる
ここら辺は何か言いにくいけど、さやかを助けたのは自分と似てる事に気づいて共感したからだろうな、昔の心を取り戻したのもさやかのお陰だし

テレビ版は10回見ましたが、劇場版は時間&金の問題で一回しか見てないので、ここの解説を見て色々と確かめたい事が出てきました、映像のクオリティも高いし戦闘も激しく新規曲や新規カットもあるのでBlu-rayが待ち遠しいです。(今、Blu-rayの為に節約中)
まどかマギカを色々な人が考察や語ってくれて凄く嬉しいです。他にも色々な解説、考察がネットに埋ってたり、本なっているので気になりマッスル

名無しさ #- | URL
2013/02/03 01:15 | edit

>名無しさ様
杏子にとってはさやかはもう一人の自分なのでさやかを救うことは自分を救うことを意味します。
だから杏子はオクタヴィアを倒してしまうと絶望して魔女化してしまうらしいです。
外伝でもありますが杏子はマミさんと決別して正義の魔法少女は辞めてしまう。さやかはマミさんと決別しても正義の魔法少女であることは辞めない。
杏子とさやかは映し鏡のように似ていますが、杏子がより長く生きる器用さズルさを持っている反面、さやかは不器用でズルが出来ない。
しかしそんなさやかのような生き方を本当はしたいという杏子のもう一人の姿がさやかという2人の魔法少女の対比なんでしょうね。

#- | URL
2013/02/03 02:45 | edit

さやかの魔女化は恋愛の事もあるが、正義を貫き通せなかった自分に対してのイラダチやQBに裏切られ酷い事実を告げられた事もあると思うんですよ。

恋愛なんかで死ぬなよって発言をよく聞きますが、恋愛で死んだ訳じゃないのでさやかが可哀想です、もっと理解してあげてほしい
死んだのは魔法少女に成ったからで、さやかの性格が魔法少女に向いてなかったって話なのですから

名無しさ #- | URL
2013/02/03 10:21 | edit

>名無しさ様
そうですね、さやかは真面目すぎたのだと思います。
真っ直ぐすぎたから自滅してしまう。
正義感が強すぎて現実の壁とぶつかってしまったのでしょう。
これが魔法少女でなければ乗り越え成長する時間もあったかと思うととても可哀想です。仁美が一日と制約を設けてしまったのが皮肉にも彼女の考える時間を奪ったという考察もありました。
本当によくできた脚本ですね。
あと物語上さやかは魔女化のシステムを説明する役なので可哀想な役目を担ったということでしょう。
まどかマギカの監督がさやかは良い子ですと評していたのでそれが全てだと思います。監督さんもさやかには申し訳ない役を背負わせてしまったという思いがあったようです。
他のアニメだったら大成したかもしれませんね。

名無しさん #- | URL
2013/02/03 13:06 | edit

うーん。
さらりと読んだけど、これって多少出来たアニメでは当然そういった
役割を与えて演じさせているキャラがいるだろうし、この作品での特別性というものに
触れていない気がするんですかね
この作品ならではの異質性をテーマに見直してみたらどうだろうか?

くらん #- | URL
2013/09/15 20:12 | edit

Re: タイトルなし

>>くらんさま
「さらり」とでも読んでくださってありがとうございます。
まさにご指摘の通りだと思います。異質性をどこに見るかは難しい問題で、ある面では異常なことはほとんどやっていないと思います。外見少女だけど中身少年漫画だし。
と言って、本当の意味での異質なところを切ると、たとえばなんでみんなネガティブなのか(まどか以外)、とか、なんで強い男が出てこないか、とか、なんで問題解決が子供だけに投げられるのか、とか、実はこれ二次創作だよね、とか(受けてが"魔法少女モノ"を知らないと成立しない)とか、読んでいて楽しくないことが出てくるように思います。
私も、その辺りを無意識で避けていたように思います。
まさにいい機会なので時間できたら書いてみます。

ご指摘、ありがとうございました。

さわK #- | URL
2013/09/19 13:13 | edit

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://chiqfudoki.blog.fc2.com/tb.php/226-2820c44e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめ【劇場版まどかマギカ徹】

こんにちは、LAからです。映画はこんな場所でやってます。リトルトーキョーの近くです。通りを一本ずれる

まっとめBLOG速報 | 2012/11/05 01:39

プロフィール

検索フォーム

最新記事

最新コメント

アクセスカウンター

オススメ

▲ Pagetop

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。